
同じ日に生まれた二人は、運命の糸を手繰り合うように小学6年生で出会い、
中学時代はチームメートとしてサッカーに明け暮れた。
「昔も今も、圭佑は圭佑のまま」
これまでなかなか語ることのなかった
“本当の本田圭佑”について、家長昭博が口を開いた。
Interview and text by Misa TAKAMURA Photo by Kenji YASUDA
本田圭佑に初めて会ったのは小学6年生の冬。翌年からガンバ大阪ジュニアユースへの加入が決まっていた僕が、初めて同チームの練習に参加した時です。圭佑は僕よりも早く、何度か練習に来ていたせいか、すっかりチームになじんでいて、てっきり先輩だと思っていたら、同期だと聞いてびっくり。その時は特に話さなかったけど、黄色の派手なスパイクを履いていたことだけは覚えています。その後、ジュニアユースで一緒にプレーするようになってからは、とにかく個性的で存在感があったという印象です。僕らの同期には圭佑に限らず、かなり個性的な選手が集まっていたけど、中でも圭佑は群を抜いて目立っていた。ただ、これは僕が京都の田舎者だったから、そう見えたのかもしれない。圭佑も含めて、他の大阪出身の選手が話している内容や言葉遣いは、僕から見ると明らかに大人の域に達していましたから。
ただ、圭佑とはなぜかすぐに仲良くなりましたね。誕生日が同じということは大阪トレセンの選考会で知ったとはいえ、お互い全く興味を示さなかったけど(笑)、練習の帰りは必ず一緒だったし、互いの家にもよく遊びに行った。その反面、ケンカもよくしましたね。例えば、チームでは僕が左サイドハーフで、彼が左サイドバックだったんですが、お互いに自分中心にプレーしたいがために相手にパスを出さずにケンカになったり。お互いに相手のプレーを認めていたはずだけど、絶対に、それを認めているとは言わない、いや、言いたくない関係でした(笑)。