【ライターコラムfrom松本】「Jリーグ通算500試合出場」田中隼磨が松本山雅で歩んだ軌跡

【ライターコラムfrom松本】「Jリーグ通算500試合出場」田中隼磨が松本山雅で歩んだ軌跡
 リーグ戦通算、500試合。

 この記録を達成した歴戦のプレーヤーはいるものの、運動量が求められるサイドの選手としては極めて珍しい。松本山雅FCの田中隼磨は第12節水戸ホーリーホック戦で途中出場し、プロ19年目で節目のピッチに立った。第14節ツエーゲン金沢戦では記念セレモニーが行われ、3人の子どもたちから花束や記念パネルを受け取った。

 思えば、この男のサッカー人生は常に試練とともにあった。故郷の松本を出て、横浜フリューゲルス(当時)のアカデミーに身を投じたのが中学校時代。そこからクラブの消滅と横浜F・マリノスへの統合という激動をユース時代に味わった。

 マリノスで2種登録されてトップ昇格を果たし、1年目からキャリアを積み重ねる。2004年には浦和レッズとのチャンピオンシップを制してJ1初制覇。09年に名古屋グランパスへ移籍すると、翌10年にJ1優勝に大きく貢献した。だが13年シーズン、契約満了を告げられる。J1も含めた複数のクラブからオファーを受けた中でも、田中は生まれ故郷に芽吹いていた新緑に心を奪われていた。

 そもそもJ2で、提示された条件も他と比べれば決して良くはない。だが、そんなことはどうでもよかった。「サッカーのサの字もなかった松本にJリーグのクラブがある」。さらに言えば、マリノス時代の先輩・松田直樹さんをめぐる縁もあった。

 松本でも試練の連続だった。移籍1年目14年は初のJ1に導いたものの、自身はシーズン中の試合で右ひざ半月板損傷。それをひた隠しにしてピッチに立ち続け、昇格が決まった試合で初めてそれが明るみに出た。15年は1年でのJ2降格を味わうと、16年には右眼裂孔原性網膜剥離。一時は選手生命さえ危ぶまれた。

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