国見のFW平山相太や市立船橋のFWカレン・ロバート(リアザーヘッド/イングランド7部)、星稜のFW豊田陽平(サガン鳥栖)など高体連の同年代が煌びやかなスポットライトを浴びる一方で、「僕らの時のJユースはめっちゃ地味。選手権をテレビで見て、凄い大会だなと思う一方で、正直“俺らの方が強い。Jユースの方がレベル高いやん”と思っていた」(小野原監督)
C大阪U-18時代に1歳上のDF福王忠世(ロアッソ熊本などでプレー)とCBを組んだ小野原監督は、高さとパワフルな左足キックを買われ、U-17日本代表にも選ばれた。トップチームへの昇格は果たせなかったが、関西学院大でも活躍し、関西学生選抜にも選出。複数のJクラブの練習にも参加したが、結局プロからの声は掛からず、卒業後はサッカーの道から離れることを決意した。
第二のサッカー人生として、教員として後進の指導を考える選手も多いが、小野原監督は中学の体育教師として多忙な日々を送っていた父を見ていたため、教員になるつもりはなかった。大阪学院の採用も、大学の学生課の事務職員として。社会人1年目は、趣味を優先し、時間を見つけては絶景を見るために全国へ足を運んだ。サッカーに関わるのは、友人の試合や学生課の仕事として大学の試合を観戦する程度だったという。
転機が訪れたのは社会人3年目の2010年。選手としての実績を買われ、理事長から高校サッカー部のコーチを依頼された。
「父親と同じ血が騒ぐのかもしれない」と苦笑いするように、引き受けたからには手を抜かない。普段は選手に冗談を飛ばし、同じ目線で笑いあう兄貴分的な存在だが、ピッチに立つと表情は一変し、選手に厳しい要求を送る。ピッチ外での熱量も人一倍。1週間のうちミーティングには、じっくりと時間をかける。
こうしたミーティングで使用する映像は、自宅から学校までの通勤時間に、小野原監督自らが両手にiPadとスマホを抱え、分析と編集を行う。細かな部分まで繰り返し、目をやるからこそ気付けることがたくさんある。ドリブルやパスで観客を沸かせるタイプではなく、味方のために懸命に走る選手や、相手DFを引き付ける動きができる選手など本当の意味でチームのために役立つ選手を試合で起用するのも、こうした作業があるからだ。FW大垣光平を筆頭に、中学時代はサブだった選手が主力として活躍しているのも、「選手やチームのことを1日中考えているタイプ」(MF山田力也)の小野原監督だからかもしれない。
予選決勝で勝ってから、周囲の人の反響によって、改めて選手権や高校サッカーの持つ凄さを実感している最中だ。
取材・文=森田将義