実は、ゴミ屋敷化するのはお年寄りの家とは限らない。若い人の住まいがゴミ屋敷になっている例は枚挙に暇がないのだ。
そうしたゴミ屋敷の片付けに長年従事してきた1人に、芸人の柴田賢佑さんがいる。先般、書籍「ごみ屋敷ワンダーランド~清掃員が出会ったワケあり住人たち~」(白夜書房)を出版された柴田さんに、その実態の一端をうかがった。
唯一の休日がゴミ屋敷清掃の仕事に
——そもそも、ゴミ屋敷清掃を業務とする会社に勤めたきっかけは、何だったのでしょうか?柴田賢佑(以下、柴田):2016年の結婚間もない頃です。妻の友達の友達が、その会社に勤務していて、人手が足りないから「誰かいい働き手はいないか」という話をされました。当時の僕は、日中は所属事務所から振られた仕事をこなし、夜はコンビニでバイトをする日々。もう余力はないと伝えたのですが、結婚していくらお金があっても足りないからと妻に言われ、毎週日曜日に仕事をすることになったのです。
実は、夜に働くのはストレスが大きく、続けられないなと思っていました。なので、朝から仕事をするのも悪くはないだろうと。で、実際に働いてみると、待遇はいいし、やりがいもあって割とやっていけたのです。
中身が入ったまま放置された買い物袋の山
——ひと口にゴミ屋敷と言っても、さまざまなものがあったと思いますが、具体的なエピソードを教えていただけますか?柴田:ある高齢女性の自宅の話をしましょう。離れて暮らしている息子さんから、母の認知症がかなり進んで施設に入るから、ここは引き払うということで、物品整理の依頼を受けました。
さらに他の部屋にも、“食べ物のなれの果て”がありました。買い物袋に入ったままの状態で腐ってしまった長ネギや白菜などが、たくさん放置されていたのです。おそらく、認知症にかかる前によく買っていて、習慣だけが記憶に残っているのかなと。買い物袋が手つかずなら、何を食べて生きていたのかと思われるかもしれませんが、弁当の空箱が散乱していたので、それでお腹を満たしていたのでしょう。
使用済みオムツの山に虫の大群
——その方は、認知症でもかなり重度だったようですね。柴田:だと思います。片付けを続けて、リビングに入ると強烈な異臭に包まれました。そこは、大量の使用済みオムツに埋め尽くされていました。トイレのドア前に物品が積み上がっていたので、トイレで用を足せず、オムツを使っていたのですね。これらを処理するのも僕たち業者の仕事になります。
そして、個人的にはこれ以上に最悪の存在であるゴキブリとも出くわしました。
冷蔵庫の中もゴキブリの大群が詰まっていました。この家に限らず、ゴキブリが出る場合、片付けた箱の中にも潜んでいます。それで、積み込みをしたトラックの中がゴキブリだらけになるのです。そんなときは、会社に帰ったあとで、トラックの貨物室内にバルサンを焚きます。
500本も放置されていた「尿ペ」とは

柴田:尿ペが出てくる家は男性限定ですが、わりと多いです。仕事を始めた初期の頃に体験したものだと、アパートの1階の部屋のあちこちに尿ペが置かれていました。ほかの紙ごみなどと一緒にはできないので、1か所に集めると、その数はなんと500本。中身をトイレに流す時間がなく、会社に持ち帰って、倉庫のトイレで流しました。
“極限の面倒くささ”から生まれる尿ペ
——トイレがあるのに、なぜわざわざペットボトルにするのでしょうか?柴田:かつて尿ペをしていた芸人仲間がいまして、話を聞いてみたのですが、理由は単純明快で「トイレに行くのが面倒くさいから」だそうです。面倒くさいといっても極限の面倒くささ。その境地まで到達すると、もはやトイレで小用を足すのも面倒になるそうです。それで手元にペットボトルを置き、その場で用を足してしまうのだとか……。まぁ、芸人1人の体験と見解ですけど、ほかにも面倒くさいという理由で尿ぺを溜め込んでしまう人は結構いるのかもしれません。
さまざまな「感染リスク」も…

柴田:真夏の時期は地獄ですね。なにしろ、上から下まで完全防備の作業着なので、汗みどろになります。着用するマスクの中も汗がたまり、マスクを外すと汗水がひとかたまりになって落ちるくらいです。そして、しまいには汗も出なくなります。熱中症にかかったこともありました。
それから、インシュリンなどの注射の針も怖いです。感染リスクがありますので、それが1本でも出てくると、緊張します。
他にも噛まれるとすごくかゆくなる「南京虫」が、たくさん出できたこともあります。昔はよくいたそうですが、最近また増えているそうです。
* * *
ゴミ屋敷の清掃は、単なる片付けにとどまらず、社会のさまざまな問題を映し出す仕事。高齢者の孤立や認知症、極端な面倒くささ、そして衛生環境の悪化……。そこには、人間の暮らしの“最果て”とも言える現実がある。
次回も引き続き、柴田さんのインタビュー記事をお届けする。
取材・文/鈴木拓也
【柴田賢佑】
1985年北海道生まれ。20歳で芸人を目指し上京。2007年に柳沢太郎とお笑いコンビ「六六三六(ろくろくさんじゅうろく)」を結成。2016年より、芸人活動のかたわら、生前整理、遺品整理、ごみ屋敷の片づけなどを行う会社に勤務。
X:@ATAMADAINAMIC
【鈴木拓也】
ライター、写真家、ボードゲームクリエイター。ちょっとユニークな職業人生を送る人々が目下の関心領域。そのほか、歴史、アート、健康、仕事術、トラベルなど興味の対象は幅広く、記事として書く分野は多岐にわたる。Instagram:@happysuzuki