年齢を重ねるごとに、新しい挑戦を始めることへの不安は大きくなる。夢を仕事にしたい、好きなことをして生きていきたいと考えていても、年齢や築いてきたキャリアの前に躊躇してしまう人も多いだろう。

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 Webライターの吉村智樹さん(58歳)は、51歳のときに放送作家からの転職を考え始めた。今やWebライターは誰でも簡単に始められる反面、“稼げる人はほんのひと握り”といわれており、辞めていく人は後を絶たない。

 そんな世界に、吉村さんは0からのスタートで飛び込んだ。安泰と思われるテレビの仕事を辞め、50代から新たな挑戦に踏み切った理由は何だったのだろうか。

 50代の新人が前職でのスキルを活かし、売れっ子ライターになるまでを取材した。

華やかに見える経歴の裏で、カード借金も…


51歳で出合ったライターという“天職”。50代の新人が“前職のスキル”を活かして売れっ子になるまで
吉村智樹
 Webライターとしてさまざまな媒体で活躍する吉村さん。放送作家ということもあり、駆け出しのライターには“違う世界の人”に見えるかもしれない。
しかし、彼の人生は紆余曲折に満ちている。

「大阪芸術大学の映像学科を卒業後、まずは印刷会社に就職しました。その後、雑誌の記事を作る編集プロダクションに2年在籍し、途中で放送作家に転職したんです。31歳から41歳まで東京にいましたが、非常にあいまいな日々を過ごしていましたね」

 精力的にテレビの仕事をしていたわけでもなく、誰かから依頼された原稿を書いたり、イベントに出て喋ったり。「職業が何なのかよく分からない10年間を過ごしていた」と吉村さんは話す。

「そんなことをしていると、食べていけなくなってしまって。
生活のためにカード借金をするようになり、気が付けば3社から借入れして生活費を回していました。41歳のとき、親を頼って大阪に帰ってきました」

大阪のテレビ局で孤立。仕事の安さに転職を決意

 Uターン後は以前勤めていた大阪のテレビ局に復帰するも、そこはかつての古巣ではなかった。

「現場の雰囲気がものすごく変わっていたんですよ。あまりに変わりすぎていて、浦島太郎の気分でした。簡単に言うと、偏った政治的思想が局内にまん延していて、それが番組作りや現場のあり方にも反映されてしまっていた。
今は浄化されてクリーンになっているので、あくまで当時の話です」

 方針などでプロデューサーとの対立もあり、次第に居心地の悪さを感じるように。「毎晩、眠る妻の横で布団に丸まって、何度も涙を流していた」と語るほど、精神的につらい時期を過ごした。

「ギャラの安さにも不安を覚えました。テレビの仕事は安定しているように思われがちですが、じつはそうでもなくて。ある番組で、『構成料は1ヵ月4万円でお願いします』と言われたときは驚きました。1回の放送で1万じゃないんですよ。
1ヵ月分の放送まとめて4万。1ヵ月5週の月もあるから、そうなると1本1万円にも満たない。東京の相場と比べて関西はこんなに安いのかと……」

 このままでは仕事を続けられない。精神面でも生活面でも危機を感じた吉村さんは、転職を考えるようになる。

WELQ騒動がきっかけでWebライターを知る

51歳で出合ったライターという“天職”。50代の新人が“前職のスキル”を活かして売れっ子になるまで
「WELQ騒動がきっかけだった」と吉村さん
「その時点で50歳目前だったので、転職活動をしたところで雇ってくれる会社があるのだろうかと悩んでいました。そんなときに、“Webメディアで記事を書くとお金がもらえる”と聞いて。知るきっかけとなったのは、2016年のWELQ(ウェルク)騒動でした」

 WELQ騒動とは、DeNAが運営する健康・医療情報サイト「WELQ」が、著作権侵害と不正確な情報提供で大きな批判を受けた事件だ。


 たとえば、「肩こりは幽霊が原因」と書かれた記事が有名だが、キュレーション(※インターネット上の情報を独自の基準で収集・選別・編集し、情報に新しい価値を付加した状態で共有すること)の名のもとに、いわゆる“パクリ記事”、“情報元が不正確なコタツ記事”が大量に掲載されており、テレビでも取り上げられる社会問題となった。

「WELQ騒動があって、Webの世界からパクリ記事やインチキ記事を一掃しなければならないと、Webメディアのあり方に変化が生まれました。そこで、一次情報に触れられる“取材記事”にスポットライトが当たるようになったんです」

 出版社やテレビ局など、報道機関が運営するニュースサイトと違い、一般企業によるWebメディア(オウンドメディア)は、SEO(※検索エンジンで上位表示させるための施策)を意識したキュレーション記事で成り立っている場合が多かった。それまで“記事作成のために取材する”という前提がなかったWebメディアにおいても、WELQ騒動を機に取材できる人材が求められるようになったのだ。

SNSのライター募集を見て応募

「急にスポットが当たったものだから、『誰か取材できるライターはいないか』と業界内が人手不足に陥ったんですね。そのときに僕は運よくチャンスを掴めた。クラウドワークスなどのクラウドソーシングサイトに登録しようと考えていた矢先、Xでとある投稿を見つけたんです」

 吉村さんの目に留まったのは、「そろそろライターを募集しようかな」という投稿。
投稿主は、NTTレゾナントが運営する『いまトピ』の編集者だった。

「公式募集ではなく単なる個人のつぶやきでしたが、すぐに『記事の企画書を書いたから見てほしい』とメールを送り、編集者に会いに東京まで行きました。ラッキーだったのが、ネット界の超大御所が初めての担当編集者になってくれたことです。『僕が見た秩序』という有名な個人サイトを運営していた吉永龍樹さんと、『探偵ファイル』の7代目編集長だった大住有さん。知る人ぞ知るふたりです」

 古くからインターネットに触れている人なら、一度は聞いたことがあるだろう有名サイト。そんな大物相手に、吉村さんはいくつかの企画を提案した。そして採用されたのが、京都にまつわる取材企画だ。

放送作家時代のボツネタをフル活用

51歳で出合ったライターという“天職”。50代の新人が“前職のスキル”を活かして売れっ子になるまで
吉村さんは「今の仕事はやめたいと思ったことがない」と話す
「“京都のもうひとつの一面”を取り上げる企画を出したら、『関東の人間は京都について詳しくないから、毎週やってほしい』と言われました。初仕事で、いきなり週1〆切です。でも、放送作家時代のボツネタを山ほど抱えていたので、全部ここで使えるなって思ったんですよ。京都に住んでいる非常に変わった人物、変わったお店、京都在住の著者さん。そういった、寺社仏閣や観光以外の京都ネタをいっぱい持っていたんです」

 一風変わった京都ネタを毎週取材して書いていくうちに、いくつかの記事がバズを生んだ。

「放送作家時代にボツにされたネタだったので、『ほら見ろ! 今までテレビでボツにしやがって! バズるネタやないか!』って勝利を味わった気分でした(笑)」

 実績を重ねるうちに、次へのステップが訪れる。あちこちのメディアから執筆依頼が届くようになったのだ。

「リクルートを皮切りに、いろんなWebメディアから声がかかるようになりました。取材できるライターが枯渇していた頃だったので、僕のように毎週取材しているライターは貴重だったのかもしれません。オファーをただ待つだけでなく、書いた記事を実績として営業をかけていく。それを繰り返して今に至ります」

ミドルエイジからの転職に不安は?

 “書ける場所”との出合いを逃さないよう、ライター募集の情報チェックは毎日欠かさず行っているという。

「たとえ体調が悪くて何もできない日があっても、企画書だけは毎日書いて、『このメディアならハマる』と感じたら送っていますね。ライターを始めたとき、何があっても企画書だけは書き続けようと決意していたんです。これが今の生活や仕事のあり方にもつながっています。だから、まだ世に出していない企画がいっぱいあるんですよ」

 とはいえ、収入もゼロからのスタート。仕事が軌道に乗るまで不安はなかったのだろうか。

「転職を決めたときは崖っぷちだったので、不安どころか燃えていましたね。むしろテレビの仕事を辞めるからこそ、ライターで安い仕事はできないと思っていました。偉そうな新人ですよね(笑)。いざ始めてみたら予想していたくらいのギャランティだったので、安心した部分もあります」

51歳にして出合った“天職”

 放送作家の仕事で培ったものを見事に活かし、Webライターとして日々あちこちを取材して回る吉村さん。ただ取材して書くだけでなく、カメラマンも兼任することで、ライターとして付加価値を持たせることにも成功した。そんな彼は、「書くことが本当に楽しい」と目を輝かせる。

「つらい経験もあったけど、今の仕事はやめたいと思ったことがないんですよ。楽しくてしょうがない。51歳にして天職に出合った気分ですね。年齢なんて関係ないから、挑戦したいことがある人は諦めなくていいですよって伝えたいです」

<取材・文/倉本菜生>

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【倉本菜生】
福岡県出身。フリーライター。龍谷大学大学院修了。キャバ嬢・ホステスとして11年勤務。コスプレやポールダンスなど、サブカル・アングラ文化にも精通。X(旧Twitter):@0ElectricSheep0