フランス料理の巨匠・三國清三シェフは、2022年にフランス料理の名店「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店し、今年9月、カウンター8席だけの店「三國」をオープンさせた。
 71歳からの再出発、これからは、今までできなかったことに挑戦するのだそうだ。


 バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍…激動の時代を見事な経営手腕で乗り越え、グループを大きくしてきた三國シェフ。怒涛の人生を凝縮させた新刊『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(扶桑社刊)を上梓した三國シェフに、今だから話せる成功の秘訣について聞いた。

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※本記事は、『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(扶桑社刊)より一部抜粋・再構成してお届けします。

地産地消の先駆けだったムッシュ・シャペル

フランス料理の巨匠・三國清三が明かす「燃え尽きるまで厨房に立つ」理由。40年前から実践する“地産地消”の先駆け
三國シェフの肖像
「駿河湾沖手長海老のポワレ」

「北海道白老町の阿部さんが育てた黒毛和牛三歳牝の処女牛フィレ肉のロティ」

「東京杉並の内藤栗のモンブラン」。

 こんなふうに、僕はメニューを書くときには必ず、食材の産地やつくった人の名前を一緒に書くようにしている。

 じつは、僕が修業をしていた40年以上前から、アラン・シャペルはこれをすでに毎日行っていた。

 ムッシュ・シャペルは、仕入れを誰か他の料理人にまかせることは絶対しなかった。

 毎朝ジープを自分で運転して地元の農家を回り、新鮮な野菜や絞りたての牛乳、産みたての卵、鶏肉、牛肉などを、その日に使う分だけ仕入れてきた。今でいう地産地消である。

 そして、彼が毎朝書くメニューには、産地名と生産者の名前が必ず併記されていた。今となってはめずらしくもなんともないけれども、これはムッシュ・シャペルが最初に始めたことなのだ。

 自然に逆らわずに素材のもち味を最大限に生かそうとする彼の料理にも、そんな素材を生み出した生産者の名前をこうしてメニューに記すことにも、生産者と素材への彼の感謝の念があふれていたように思う。

 当時の僕は、地産地消という言葉さえ知らなかったけれども、そんなムッシュ・シャペルの姿を見て素敵だなあと思っていた。


常識よりも感謝と敬意の信念を優先させた

 それで、日本に戻ってから自分でもやってみたのである。産地へ足を運び、生産者に会い、自分の目で確かめてよい素材を選び、そんな素材をつくってくれた人への感謝と敬意を込めてメニューに名前を書いた。

 ところが、日本の料理評論家たちがこれに噛みついてきた。

 あの頃はまだ、メニューにそんなことを書くレストランが日本にはなかったから、「◯◯さんがつくった」と生産者名まで伝えることの意味が、たぶんわからなかったのだろう。それで、こんな批判をしてきた。

「三國さんね、あなたが名前を挙げた生産者の食材は究極なのか? それが最高の食材だと言い切るなら、あなたにその責任がとれるのか?」

 僕は、「信頼できる生産者から仕入れたおいしい素材ですよ」とメニューをとおして伝えることで、感謝と敬意を表したいだけだ。そのことのいったいどこに問題があるのか。

 それに、「どこの誰がつくったものか」という情報が、お客さんにとっては食材に対する安心感につながる。ぼくはそのことを、ムッシュ・シャペルの仕事場で学んできていた。

 なので、申し訳ないが論点のズレた批判は無視させていただき、メニューにつくった人の情報を書き続けていたら、デパートの食品売り場や高級スーパーから始まって、いつの間にか多くの店でそれがあたりまえになり、誰からもなにも言われなくなった。

 そして、現在に至る、というわけだ。

バブル期に「高級」を知った日本人だが…

フランス料理の巨匠・三國清三が明かす「燃え尽きるまで厨房に立つ」理由。40年前から実践する“地産地消”の先駆け
三國シェフ、工事現場にて
 日本中が好景気に沸き返っていたバブル時代、海外へ出かけて豪遊したり、高級酒や高級食材を味わったり、ブランド品を身につけて高級レストランで食事をしたりと、お金に糸目をつけない消費行動をとる人が増えた。

 それは、人々の「食」に関する経験値を一気に高めることになり、その結果、フランス料理店での振る舞いも変わってきた。

 たとえば、それまで、飲み物と言えばビールか水だった人たちが、シャンパンやワインをオーダーするようになった。
高くてもおいしいものを選ぶグルメなお客さんが増えた。

 お客さんのその変化は、僕たちにとってはありがたい変化であったと思う。

 ところが、そこへ来てのバブル崩壊である。

 目が肥え舌が肥えた人たちは厳しい目を店に向けるようになる。おいしくなくちゃいや、サービスは行き届いていないとダメ、雰囲気も大切にしたい。だがしかし、バブル期のようにたくさんお金を使うことはできない。

ついに、僕の時代が来た!

 こんなときレストランへの要求度が高い人たちはどうするか。

 まず、外食の回数を絞る、そして、数少ないひとときを楽しむため、厳しい選択眼で店を選び抜く。 やった! ついに僕の時代が来た!!と、あのとき思った。

 なんでも高いものから売れていくような時代、うちでも高いワインが売れたし、高いメニューを選んでくれる人も増えた。

 それはそれでとてもありがたいことだったけれども、「高いから喜ばれる」あの感じ、「値段が高いことこそが価値」みたいな感覚に、僕はなんだかなあ、と思っていたのだ。

「おいしい」という理由で選んでほしかった。
うちの料理が高いのは、いい食材を使い、高い技術で調理をしておいしいものを提供することへの対価だからなのだ。

 バブル経済を経て、ようやく時代が巡ってきた。

 なぜなら、本当においしいものがわかり、厳しい選択眼をもつ人ほど「オテル・ドゥ・ミクニ」を選ぶに決まっているからだ。

 かくして「オテル・ドゥ・ミクニ」は、バブル崩壊後の改築で借り入れたお金を6年で完済し、さらに成長し続けることになったのである。

〈写真/キッチンミノル〉

【三國清三(みくに・きよみ)】
1954年北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業し、駐スイス日本大使館料理長に20歳で就任。その後名だたる三つ星レストランで腕を磨き、8年後に帰国。85年、東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店。予約の取れないグラン・メゾンとなる。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど国際的にも活躍する一方で、子どもの食育活動やスローフード推進などにも尽力している。2020年にYouTubeチャンネルを始め、登録者数54万人の人気チャンネルになり、Instagram18万人と合わせると72万人を超える(25年8月現在)。22年、惜しまれながらも「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店、25年、カウンター8席の「三國」を開店。

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