高市陣営に「中傷動画」疑惑

「いちばんの権力者が、いちばん卑怯だった」高市陣営の“中傷動...の画像はこちら >>
 高市早苗首相の陣営が中傷動画の配信に関わっていたとの疑惑を、週刊文春が報じました。総裁選や衆院選で対立候補を「カンペで炎上!」「無能で炎上!」などと煽るコメントが視聴者を装って投稿されていたというのです。連日国会でも取り上げられ、政権を揺るがす事態に発展しています。


 しかし、これを単なる一過性の政治スキャンダルとして片付けるべきではありません。ここには、現代日本の政治風土、インターネットという言論空間の変質、そして私たちの精神のあり方に至るまで、極めて深刻な問題が凝縮されているからです。

問題が映し出す「政治に対する絶望感」

 今回の騒動を伝えるニュースを見て、多くの人が抱いた感覚は、「驚き」ではなかったはずです。「やっぱりそうか」あるいは「ああ、高市早苗ならあり得るな」──むしろ、最初から分かっていたことの答え合わせを確認できたときの静けさです。

 新しい事実が暴かれたというより、薄々感じていたことにお墨付きが与えられた、そんな感覚で報道を受け取った人が少なくないように感じます。

 だからこそ、この問題は政治に対するより根深い絶望感を映し出しているのです。

最も権力を持つ側が“匿名で”中傷する卑怯さ

 今回の件で改めて考えさせられたのは、匿名というものの意味です。相手を批判すること自体は悪ではありません。時には厳しい言葉を使うことも必要でしょう。政治家や著名人に対する批判は民主主義社会において重要な役割を果たします。

 問題は、その批判を誰が行ったのか分からない状態で発信することです。

 名前も顔も隠し、責任を負わない形で他人を攻撃する。もし今回の疑惑が事実であるならば、それは単なる中傷の問題ではありません。署名のない原稿で人を罵るような行為を、社会で最も強い権力を持ち、時には強制的に法執行を行える側が利用していた可能性があるということになります。


 つまり、一番強い者が一番卑怯だった、という話なのです。

 民主主義において権力者には説明責任が求められます。ところが匿名性は、その責任を消し去る力を持っています。もし最高権力者クラスの政治家が匿名アカウントの運営や世論誘導に関わっていたとすれば、それはモラルハザードの極地と言わざるを得ません。

 事実であれば、民主主義を根っこで支えていた信頼は無惨に消え去ってしまったのです。

騒動が浮き彫りにしたネットの危険性

 さらに、この問題はインターネットそのものへの見方にも影響を与えています。これまでネットは「自由にものが言える空間」だと考えられてきました。匿名だからこそ発言できることがあり、既存メディアでは拾われない声が可視化される。その価値は確かに存在します。

 しかし、その裏側には別の現実もあります。匿名であるということは、金と権力を持つ者が素性を隠したまま世論を操作できるということでもあるからです。誰が発信しているのか分からない。背後関係も見えない。
その情報が本当に個人の意見なのか、組織的な活動なのかも判断できない。今回の騒動は、そうした危険性を改めて浮き彫りにしました。

 近年はネット選挙の拡大を求める声もあります。しかし、匿名性を利用した世論操作の可能性がこれほど現実味を帯びている状況で、私たちは本当にその方向へ進んでよいのでしょうか。

ひねりも工夫もない“無味乾燥”なフレーズの意味

 そして何より象徴的なのは、今回問題視されたアカウントから発信されていた言葉の貧しさです。「カンペで炎上」「無能で炎上」といった、ひねりも工夫もない短いフレーズ。そこには思想も論理も創造性もありません。ただ相手を貶めるためだけの言葉が、気持ちのこもっていない念仏のように並んでいます。人間が書いたのか、AIが生成したのかすら判別が難しいほど乾いたテキストです。

 しかし、それは単なる表現の問題ではありません。

 政治への信頼を失い、議論よりも嘲笑を選び、思考よりも反射的な怒りを共有する社会。その精神的な荒廃が、あの無味乾燥な文章群には映し出されていたように思えるのです。


文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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