
通学していた仙台市、生まれ育った名取市。元宝塚歌劇花組トップ娘役・仙名彩世(せんな・あやせ)の芸名には、宮城県への郷土愛が詰まっている。2008年の宝塚入団から4年目に入る春、兵庫・宝塚大劇場での公演を終えた帰省中に大震災と遭遇した。寒さに震えて過ごした時間、宝塚上演への葛藤、19年の「3・11」に本拠地で退団セレモニーに立った思いを聞いた。(筒井 政也)
羽を伸ばすはずの休日は、身も心も震える時に変わった。千秋楽翌日の3月8日から12日までの予定で名取市の実家に帰省していた仙名。その瞬間は、仙台市の商業施設で母と待ち合わせの最中に訪れた。
施設の立体駐車場がひしげる様子を目にしながら、近くの小学校の校庭に避難。校内の貯水タンクは破裂していた。宝塚の同期と偶然電話がつながり、無事は伝えたが、その後は回線がパンクして家族と連絡が取れなくなった。自宅までは車で20分の距離。「とにかく家に帰らなくちゃ。歩くと2時間以上かかるけど、寒いし、走ろうと」。相次ぐ余震におびえつつ、雪降る中を駆けた。
途中親切なタクシー運転手に遭遇し家まで届けてもらったが、自宅前の道路には亀裂が走り、段差ができていた。自宅内も棚や食器が散乱。重いピアノも動いていた。後に家族と合流ができたが、ろうそくと懐中電灯、ガスコンロだけで暗く不安な夜を過ごした。
家族・親戚は無事。友人・知人の家庭には犠牲者がいて胸を痛めたが、それを知ったのも後日。停電で携帯電話は充電できず、テレビも映らず、情報収集はラジオだけが頼り。「〇〇地区では〇体の水死体が…」とのニュースに「人間が〇人ではなく〇体と呼ばれることがショック」と回顧する。