タレントの勝俣州和(59)がこのほど、スポーツ報知のインタビューに応じた。明るさとハツラツとしたキャラクターで多くの番組で重宝される勝俣だが、その元気の源や卓越したコミュニケーション力のルーツは「遊び心」にあるという。

また自身を芸能界に導いてくれた恩師・萩本欽一(83)への思いも語った。

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 カラッとした明るさと、少年のような笑顔。大物司会者であろうと若手であろうと壁を作らずフランクに接する。幅広い番組から重宝される勝俣に「元気」の極意を聞いた。「『悩む』っていうキーワードが僕の中ではないんです。僕だって体の調子が悪い時とか精神的に疲れていることはあるけど、家族や仕事仲間にひとりでも気を使わせたり、暗くさせちゃったりする方が嫌だから。明るく振る舞うことは優しさだと思う」

 7人きょうだいの長男。両親は共働きで、祖父母とも同居していた。11人の大家族で自然と、家の中のことは長男である自分が引き受けるようになった。「妹、弟の面倒を見るとか、おじいちゃんもおばあちゃんも昔みたいに体が動かなくなってくる。誰かに教えられたわけじゃないけど、人が一生懸命働いている姿を見たら何か手助けになることができないかなっていうのをおのずと考える環境で育ってきたから、今に至るのかと思います」

 普段から、番組の打ち上げや新年会などがあると、タレントで固まらず技術スタッフや放送作家の輪の中で飲むのが好きなのだという。「新人のとき、欽ちゃんに『普段誰とメシ食い行ってる?』って言われて『プロデューサーさんかディレクターさんですかね』と返したら、『バカ。

おまえはADと飲め。おまえと一緒にADが出世していくんだよ』と言われた。次の日から毎日、各番組のADと朝まで飲んでました。昼の欽ちゃんの帯番組のレギュラーだったので、朝まで飲んでテレビ局のロビーで寝てる。欽ちゃんは『それならいいや』って何も言わなかった。周りはヒヤヒヤしてたと思いますけど」

 相手が誰であろうとスタンスは変わらない。「やっぱりスタッフもタレントもみんな、可能性があってこの世界にいると思うんで。どいつが大化けするんだろう?って楽しさもあるんです。いつか自分のご褒美みたいな人が現れたら面白いなって感覚です」と話す。

 遊び心を持って出会いを楽しむからこそ、勝俣のもとには自然と元気が集まってくるのかもしれない。「あいさつに来てくれた新人のスタッフさんに『僕と番組持つのを目標にしてください』って言ったり、出会った路上ミュージシャンにもメシ代くらい入れてあげたりしている。でも、全員売れない。

一人も売れない(笑い)。ふざけんなよって…」としっかりオチをつけた。

 もともと芸能界にさほど興味はなかった勝俣だが、萩本欽一との出会いが、人生を変えた。「劇男一世風靡(ふうび)」に所属していた1988年、「欽きらリン530!!」のオーディションで萩本らに見いだされ、テレビタレントとしての一歩目をスタートした。半年以上かけてじっくり出演者を探す審査で、勝俣が参加したのは最後の1か月。志望者は1次審査のある質問を突破しないと次のステップに進めない。

 「芸能界で売れるために必要な三つは『努力』『才能』、あと何?って。それが正解じゃないと帰らされる。欽ちゃんの正解は『運』だった。僕は『時代性』って言ったんです。当時のディレクターの人が時代性も運だとくんでくれて、稽古場に行けるようになった」

 最初はオーディションの中身より、夕食休憩のカツ丼やカレーのほうが魅力的だった。「お笑いの基礎も何にも知らなかった」。

それでも1か月間の日程が進むうちに気づいたことがあった。「面白いのに、いなくなるやつがいるんですよ。『運』という見方から、じゃあ僕がなんで残ってるんだろうと考えたとき、たぶんみんなは受かろうとしていたと思うんですけど、僕はここで欽ちゃんと遊べるんだと思ってた。僕は楽しんでたんだな、と…」

 “恩師”との出会いから35年以上の時が過ぎたが、今でも「芸能界で遊ばせてもらっている」という感覚は変わらない。83歳の欽ちゃんは目下、思い出の場所での1000人ライブの成功を目標に掲げており、月1のペースで小さな劇場でアドリブ満載のトークライブを行うなど肩慣らし中。勝俣も8月の公演に出演し、集大成となる11月の本番にも出演する予定だ。

 「いまテレビとかラジオとかいろんな場で遊ばせてもらってるけど、一番高度な遊びをあそこでやらせてもらってる。脳からダクダクに汗が出る。でも、あの年齢の欽ちゃんがあんなに遊んでくれるって、ぜいたくじゃないですか。一生のツマミになる。たまに、なんで萩本欽一は僕を遊び相手に選んでくれたんだろうって、家で嫁さんと話すんですよ。ライブやってる途中で我に返るんです。

僕も59歳になって、欽ちゃんも80歳超えて、2人でなにやってるんだろう?って。これが幸せってことなんだと思う」

 勝俣は、萩本から告別式の弔辞を託されているという。「お葬式って暗いから、お前が明るくしてくれって言われてるんです。タモリさんが昔、赤塚不二夫さんの弔辞で『私はあなたの作品の一つです』って言ってたけど、僕はその逆を言おうかな。『あなたが唯一作った失敗作が僕でしたね…』って(笑い)」

 どんな局面であっても、明るく盛り上げる力は唯一無二のものだ。「オーディションに受かって気づいたら36年、自分で決めたことってひとつもないんです。だから『勝ちゃんに今度これ、やらせてみよう』とか、どんなことを期待してくれるのかワクワクする」と風まかせの未来を楽しむ一方で、「ひとつだけ欲がある」という。

 「絵本を作ってみたいんです。以前、息子が幼稚園に通っていたとき、あるイベントで絵本の読み聞かせをやったら息子が号泣したことがあったんです。僕の出ているテレビを見て泣いたことはないのに(笑い)。絵本のなかの言葉は年をとらない。いつか、自分の子供や、その子供に読ませられる作品が残せたら棺桶(かんおけ)に入ってもいいかなと思いますね」

 いくつになっても夢を持つこと。

83歳で1000人ライブをやろうとしている萩本も、還暦を前に絵本を作ろうと思案する勝俣も、自分の欲に耳を傾け、動こうとしている。その欲の中から「元気」が湧き出てくるのだろう。

 〇…欽ちゃんが夢として掲げる1000人ライブの模様は来年1月に日本テレビ系特番で放送予定。11月の本番収録の観覧募集もスタートしている。詳しくはhttps://www.ntv.co.jp/kinchan1000/まで。

 ◆勝俣 州和(かつまた・くにかず)1965年3月12日、静岡県生まれ。1988年、日テレ系「欽きらリン530!!」で芸能界デビュー。番組で結成されたアイドルグループ「CHA―CHA」のリーダーとして 同年に「Beginning」でCDデビュー。主なレギュラー番組にABCテレビ「朝だ!生です旅サラダ」(土曜・前8時)など。

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