巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏が、スポーツと慈善活動に貢献したスポーツ選手に贈られる「サーマン・マンソン賞」を受賞し、13日(日本時間14日)にニューヨーク市内で行われた授賞式に出席した。

 同賞は1970年代にヤンキースで活躍した故・マンソン氏にちなんで創設され、今年で45度目。

過去には、故モハメド・アリ氏、殿堂入りの故ヨギ・ベラ氏、マリアーノ・リベラ氏らも受賞。今年は、2009年ワールドシリーズMVPに輝いた松井氏、1985年のサイ・ヤング賞受賞のドワイト・グッデン氏らが、慈善事業や地域社会への貢献が認められて受賞した。故・マンソン氏は、新人賞に輝いた1970年からヤンキース一筋で11年プレー。1976年にシーズンMVPに選ばれ、捕手として3度ゴールド・グラブ賞を受賞。球宴に7度選出された。1979年のシーズン中に自ら操縦する自家用機の墜落事故で死去。背番号「15」はヤ軍の永久欠番となっている。

 式典では冒頭、流ちょうな英語であいさつし、受賞の喜びなどを語った松井氏。記者会見での主な質疑応答は以下の通り。

 ―受賞の喜びを。

 「光栄です。(マンソン氏について)70年代後半、強かった頃、ブロンクス・ズーの時代のキャプテン。

2年連続ワールドチャンピオンにもなった。もちろん、その後の事故のことも知ってますけど、(個性ある)選手がそろった中で、彼の存在がチームをまとめる大きな存在だったんじゃないか、という想像はします」

 ―子どもを対象とした野球教室は今年で10年目。地道な地域貢献が評価された。

 「基本的には今の活動を継続しながら、あとはヤンキースの中で、組織の力に少しでもなっていきたいなと思っています。(野球教室の)回は重ねていきたいと思っています」

 ―日本はドジャーズとカブスの開幕戦で盛り上がっている。

 「東京ドームでメジャーリーグを見られる世代っていうのが羨ましいですね。石川(県)でそんなのないですし、プロ野球を見る機会もほとんどなかったですから」

 ―松井さん自身も2004年の日本開幕戦に出場した。

 「ヤンキースのユニホームを着て、東京ドームで試合するというのは、違和感がありましたね。自分の場合は、東京ドームで10年間ジャイアンツの選手としてプレーしたので。でも、とっても特別な時間でした。ヤンキースの選手としてプレーしたことは、非常に思い出深いです。2試合目にホームラン打ったのを思い出しますけど、ジャイアンツ戦で打ったホームランもインパクトがありました。

日本のチームが(メジャー球団に)どのように挑んでいくかも、楽しみにしています」

 ―カブスの鈴木選手はあの試合を球場で見ていたそうだ。

 「そうなんですか。(年齢は)いくつだったかのかな。20年以上前のことですからね。羨ましいなと思いますね」

 ―今回は大谷たちがすしディナーを開催する。松井さんも当時、チームメートにおもてなしを。

 「しましたね。食事に行ったりね。ジョー・トーレ監督とも食事に行きましたが、ウニは食べられないと言っていた。『やっぱり俺はイタリアンだ』って言っていましたよ」

 ―巨人の後輩、菅野投手を始め、小笠原投手、青柳投手、新しくメジャーに挑戦する日本人選手も順調にキャンプで仕上げてきている。期待は。

 「もう一ファンとして見ているだけなんで。

もちろん、日本人選手には、けがせず頑張って欲しいなと思います。どういうプレーするのかなってファンとして見ているって感じですね」

 ―ヤンキースが、これまで禁止していたひげを解禁した。

 「まあ、時代なんでしょうね。時代の流れというか、時代の空気というか、うん。まあ、それはオーナーが決めたことでしょうから。最近、ジーターも(ひげを)生やしているよね。あれ、ヤンキース時代だったらアウトだよね。これからですね。誰が一番手に、先頭を切るか。ある意味、見ものですね、それは」

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