巨人と激闘を繰り広げた阪神のOBで元監督の安藤統男氏(86)は、レギュラーに定着した1970年に長嶋さんからかけられた言葉が何よりの励みになったという。またヤクルトのコーチ時代に指導した長男でタレントの一茂とミスターの共通点も明かした。

 今でも耳元でささやかれたミスターの声が忘れられない。1970年、私はプロ9年目で二塁のレギュラーに定着し、夏場を過ぎても打率3割前後をキープしていた。シーズン終盤の伝統の一戦で三塁ベースまでいくと、長嶋さんが「3割を打てるチャンスはそう何度も来ないぞ。打てる時に打っておけよ」と激励してくれた。私が気軽に話せるような人でもないのに、正直驚いた。

 言うまでもなく、巨人と阪神は永遠のライバル。ペナントを争う宿敵だったが、長嶋さんは敵味方に分け隔てがなかった。ジャイアンツの看板選手というより、球界のリーダーを自負されていたのだろう。結局、打率2割9分4厘で王さんに次いでリーグ2位。計算すると、3割にはあとヒット3本足りなかった。悔しさも残ったが、ミスターの言葉にどれほど勇気づけられたか分からない。

 あの年は球宴にも出場できて、試合前のシートノックを受けた際には震えるほど感激した。

三塁の長嶋さんから送られた球を私が捕って、一塁手の王さんに送球。ONの間に入らせてもらえて、これほど光栄なことはなかった。

 長嶋さんの送球は少しシュート気味でズシリと重たかったことを覚えている。ビックリしたのは18年後、私がヤクルトの作戦コーチの時に、ドラフト1位で息子の一茂が入団してきた。ノックの球を私が一塁で捕球していたら、球質が本当に一緒。一茂の方が野手っぽくてやや軽い球だったが、送球も遺伝するのかと思った。

 ヤクルトの秋季伊東キャンプには一茂の様子が気になったのか、長嶋さんも駆けつけてくれた。「安藤さん、うちのボウズ(一茂)がお世話になって…」。4学年も年下の私に対しても、なぜか「安藤さん」。あれだけの実績の人が偉ぶらず、とにかく優しい。長嶋さんは野球界の神様だった。(スポーツ報知評論家)

 ◆安藤 統男(あんどう・もとお)1939年4月8日、兵庫県西宮市生まれ。

86歳。茨城県土浦市で学生時代を送り、土浦一高3年夏には甲子園大会出場。慶大では1年春からレギュラー、4年時には主将。62年阪神入団。70年にセ・リーグ打率2位で二塁のベストナイン。73年現役引退。翌年からコーチ、2軍監督などを歴任し、82年から3年間、1軍監督。87年から3年間はヤクルトで作戦コーチを務めた。

編集部おすすめ