参院選は20日に投開票され、日本保守党から比例で立候補していた北村晴男弁護士の当選が確実となった。今年3月に番組が終了した日本テレビ系「行列のできる法律相談所」の“弁護士軍団”からは3人目の政治家が誕生することになった。

 最初に政治の世界に足を踏み入れたのが、丸山和也氏。“番組代表”として2005年には同局系「24時間テレビ」のチャリティーマラソンのランナーを務めるなど、番組の顔の一人だったが、07年3月に東京都知事選の立候補書類を入手していたことが判明。緊急会見を行ったものの、検討からわずか5日で不出馬を表明した。

 その後、同年7月の参院選に自民党から比例で立候補することが決定。出馬表明会見では「自民党に喝を入れる」「今は熱い思いが伝わってくる政治家が少ない。『人間・丸山』が人間味ある政治をしたい」などと思いを語った。当時の第1次安倍晋三政権は「消えた年金」問題や閣僚の不祥事などで逆風のさなかにあり、非改選も合わせて民主党が第1党となる厳しい戦いとなったが、丸山氏は見事当選した。

 13年の参院選では比例で再選を果たしたが、法務部会長となった16年の参院憲法審査会で、当時の米オバマ大統領について「黒人の血を引く奴隷」などと人種差別的な発言をして、審査委員を辞任する騒動も。同じく比例で出馬し、3選を目指した19年は得票を大きく減らして落選した。

 2人目は、番組出演当時最年少の弁護士で、「茶髪の風雲児」と呼ばれていた橋下徹氏。07年、翌年に実施される大阪府知事選への出馬が取りざたされた際に、当初は「2万%ない」と答えていたが、急転して立候補。表明会見では、4時間にわたって決意をあらわにした。

新人5人による争いは、橋下氏が”秒殺”で当選確実となり、史上最年少の38歳の府知事が誕生した。就任後は府の財政の立て直しなどに取り組んだ。

 任期満了前の11年には大阪市長選へのくら替え出馬を表明。同年11月に行われた市長選と府知事選のダブル選挙では、橋下氏と松井一郎氏が勝利した。14年には「大阪都構想」実現のための出直し選挙で再選されたが、都構想の住民選挙は反対多数で否決され、15年末に政界を引退。その後、何度も政界復帰がうわさされたが、現在はご意見番として様々なテレビ番組などに出演している。

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