◆卓球 世界ツアー WTTチャンピオンズ横浜  第1日(7日、横浜BUNTAI)

 開幕し、男女1回戦が行われた。5月の世界卓球個人戦男子ダブルス金メダルで、シングルス世界ランク28位・戸上隼輔(23)=井村屋グループ=は、同38位のT・ポレ(フランス)に3―0で完勝し、日本勢一番乗りで2回戦に進んだ。

プロレス好きの「炎のファイター」は、改修前に故・アントニオ猪木さんが死闘を繰り広げた横浜BUNTAI(旧横浜文化体育館、略称・横浜文体)で、シングルスでも世界一を目指す。

 確かな自信を胸に、戸上は“聖地”での戦いに挑んだ。「戸上選手~」とホームの黄色い声援が飛ぶ中、マッチポイントから一撃必殺のフォアドライブで、ポレのラケットをはじき飛ばした。5月の世界卓球男子複で日本勢64年ぶり優勝後の凱旋試合は、一度もリードを許さず。わずか22分で勝負を決め「日本の1番手(の登場)で重圧があったが、いい試合ができた。完璧」と笑顔を見せた。

 海外武者修行が生きた。昨夏のパリ五輪団体でメダルを逃した後「もまれたい」と2季ぶりにドイツ・ブンデスリーガ1部に参戦。日本にいない多様な選手と戦い、攻撃の幅を増やした。この日の第2ゲームでは、9―8から相手の強打を短い球で返すストップでつなぐと、得意のラリーに持ち込んで最後はクロスに決めた。接戦を取り切ると絶叫。「2ゲーム目を取り切れたのが勝因」と胸を張った。

 28年ロス五輪に向け、ブンデス1部でプレーしていた18年W杯団体銀の上田仁氏(33)に助言を仰ぎ、今年4月からコーチ契約。同氏は同月末に引退し、指導に集中した。ラリーでの強打が武器の戸上だったが、戦術の幅が少なく、ラリーに持ち込む前にミスが目立った。そこで「(バックで横回転をかけた)チキータだけでなく、下回転、ストップ」とレシーブを強化。世界卓球シングルスで日本勢最高の8強入りし、「対応力が上がっている」と上田コーチも目を細める。

 プロレス好きで、世界卓球では猪木さんの入場テーマ曲“炎のファイター”と自称して金メダルを獲得した。チャンピオンズでは16強が最高だが、会場の横浜BUNTAIは改修前、猪木さんも名勝負を広げた「プロレスの聖地」のひとつ。“タッグ”ではなく、今度はシングルスでも世界一に挑む23歳は「ここで、WTTの大会で優勝できたらうれしい」と闘魂を燃やした。「真夏の祭典」でチャンピオンの称号を奪いにいく。(宮下 京香)

 ◆戸上 隼輔(とがみ・しゅんすけ) 2001年8月24日、津市生まれ。23歳。3歳で競技を始め、山口・野田学園中・高、明大卒。

21年アジア選手権で混合、男子ダブルス2冠。世界選手権は25年に男子ダブルス金のほか、21年に銅。22年に男子団体銅。全日本選手権は22年、23年男子単連覇。22年男子ダブルスV。パリ五輪男子単16強、同団体4位。右シェーク攻撃型。プロレスラー・棚橋弘至のファン。171センチ。

 ◆WTTチャンピオンズ 世界ランク上位32人およびWTT(国際卓球連盟の子会社)指名選手らがトーナメント形式で争うシングルスの国際大会。日本開催は初めてで、7日から11日まで横浜BUNTAIで実施。WTT主催シリーズの格付けは3番目で、賞金総額50万ドル(約7400万円)、優勝賞金4万ドル(約592万円)。

22年7月にハンガリー・ブダペストで初開催され、今年は6大会開催。

 ◆横浜BUNTAI 1962年に横浜文化体育館として完成。プロレスの聖地・後楽園ホールなどに続いて数々の歴史的な名場面を残した。88年8月8日には、アントニオ猪木と藤波辰巳(現・辰爾)が伝説の60分フルタイムを刻んだ。64年東京五輪のバレーボールの会場にもなった。老朽化に伴い、20年9月に閉館し、24年4月に「横浜BUNTAI」として新装オープン。JR関内駅から徒歩6分で、収容人数は約5000人。

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