北中米W杯の1次リーグ初戦、日本代表はFIFAランキング7位のオランダと対戦する。過去3度のW杯準優勝を誇り、ヨハン・クライフやファン・バステン、そして現代でもファン・ダイクら、世界的名手を次々と輩出する「オレンジ軍団」強さの源泉とは何なのか。

オランダの名門アヤックスで日本人初のアナリストやコーチとして、育成の現場で長年指導に携わった白井裕之氏(48)の言葉から、オランダサッカーの本質を探り、日本代表が勝利するための道筋を探る。(取材・構成 金川誉)

 オランダ代表がまとう鮮やかなオレンジ色のユニホームは、強さと美しさの象徴だ。国土の約4分の1が海抜0メートル以下にあり、正式名称は「Netherlands」(低い土地)。面積は約4万1800平方キロメートルと、日本の九州とほぼ同じサイズで、人口は約1840万人(2026年推計)と、東京都の約1400万人をやや上回る程度に過ぎない。そんな小国が、なぜサッカー大国として存在感を放ち続けるのか。

 94―95年に欧州CLを制し、翌年も決勝進出(準優勝)したアヤックスのスタイルに憧れ、単身オランダに渡って指導者としてのキャリアを切り開いた白井氏は、学生時代に感じたその魅力を「雷に打たれたような衝撃」と表現した。

「当時、世界は(イタリア)セリエA全盛期でしたが、私はアヤックスの『機能美』に雷に打たれたような衝撃を受けました。南米のような個の技ではなく、チーム全体が連動して攻守にプレッシングをかけ、トライアングルを作ってボールを回し続ける。その機能的なサッカーに魅了され、これを学びたいと決意しました。当時はファン・ハール監督指揮下のアヤックスです。ライカールトがベテランとして戻り、10代のクライファートやセードルフ、ダービッツ、リトマネンらがいた世代ですね」

 白井氏はオランダに渡り、皿洗いやベビーシッターのアルバイトで生活しながら、町クラブでプレーし、オランダ語を学んで指導者となるチャンスをつかむ。そして、ついにアヤックスにアナリストとしてヘッドハンティングされた。

朝から深夜まで、アヤックスのサッカーにどっぷりつかる時期を過ごし、さらにその魅力にのめり込んでいった。サッカーを「論理」で支配する『ダッチ・ビジョン』と、オランダサッカーの最重要人物、ヨハン・クライフが掲げた『プラン・クライフ』と呼ばれる育成方針を、オランダ語も学んで現地の肌感覚とともに理解していった。

「オランダでサッカーを考える時は、ゲームを支配したいという思考が一番最初にきます。サッカーはゲームなので、勝つことを前提に考えます。点数を取らないと勝てない。そのためにはボールを持たなければいけない。ボールを保持するためには、どんなシステムでどんなタスクが必要かを考えます。これがブラジルやアルゼンチンならいかに個で崩すか、イタリアならどう守備で守るか、ドイツならメンタルの部分などが強調されるなど、いろいろな切り口があります。オランダでは論理的に、どう試合するかを考えます」

 ブラジルが個の技巧から入り、イタリアが守備の堅実さから入るのとは対照的に、オランダは「論理的な支配」を目指す。その結果、熟成されていったのが、両ウイングを配置してピッチを広く使う伝統の「4―3―3」システムだ。しかしオランダでは、必ず「1―4―3―3」と表現するという。GKも試合を支配するためのピースとして、重要な役割を与えられる。

かつてのファンデルサールや、現在オランダ代表で正守護神を務めるブライトンGKフェルブルッヘンなど、伝統的に足元の技術に優れたGKが多い背景も、ここにある。

 一方、論理だけでは勝てないと、個の育成を強調したのが『プラン・クライフ』だ。クライフは選手としてアヤックスやバルセロナ、オランダ代表で活躍し、引退後もアヤックス、バルセロナで監督を務めたオランダサッカーの最重要人物。そんなレジェンドが、2010年代にアヤックスの育成改革に着手した。その恩恵を受けて育った子供たちが、現在のオランダの中心選手に。アヤックスアカデミー育ちで、白井氏も指導に携わったデ・リフト(マンチェスターU=負傷によりW杯出場は絶望的に)やフレンキー・デ・ヨング(バルセロナ)らは、『プラン・クライフ』で育った選手だ。

「当時、サッカーはチームスポーツという考えが、オランダサッカー協会含め定義されていました。しかしクライフは、サッカーはポジションやその役割も違うし、みんなスピードや強さなどの特徴が違う中で、一緒のトレーニングをするのはナンセンス。その選手に合ったトレーニング、アプローチが必要だと強調しました。例えばデ・リフトは、腰回りの動きが遅く、ステップワークのトレーニングを個別に行いました。また彼の武器であるジャンプヘッドをさらに磨くために、高跳びの選手を指導者として呼び、どうすればより高く飛べるか、などのアプローチも行いました」

 世界最高峰と称されるアヤックスのアカデミー。そこでは、平日の午前中は「個別の処方箋」に基づいたトレーニングに充てられる。

実際の年齢ではなく、早生まれや遅生まれなど、体の成熟度に合わせた強度やレベルでのメニュー、プレー環境を構築。さらに選手の特徴を伸ばすため、走り幅跳びのコーチを招いてジャンプ力を磨き、トライアスロンのコーチが持久力を管理するなど、他のスポーツのコーチよるトレーニングが行われた。また石畳や、わざとボコボコに作られた芝のグラウンドを作り、「人間は環境に適応する天才」という思想のもと、脳と体に刺激を与える試みもある。そんな環境に支えられてきたからこそ、オランダは次々と個性的な選手を輩出し続けてい

る。

 まさにサッカー界のエリート育成に長けた環境で、伸びていったオランダの選手たち。一方で白井氏は、そんな環境で育ってきたからこそ生まれた「メンタリティ」が、彼らの強みであり、弱みにもなり得ると注目する。

「彼らの中には、サッカーとは自分たちがボールを持って支配するものだというDNAが刻まれている。それがコンフォートゾーンで、フローの状態。そうなった時の強さは、まさに世界トップレベルだと思います。一方で、それがうまく回らなくなったり、相手ボールの時間帯が長くなると、極端にイライラしたりナーバスになる。ボールを支配されても1点取れば勝ち、と考えるようなイタリアの考え方とは、180度違います。これは、簡単に変えられない。

その時間が続くと、チームメート同士で険悪なムードになったり、責任を押し付け合うということが起きる可能性も高い」

 またクライフ時代から続く「オランダらしく美しく勝つ」という思想へのこだわりは、W杯などビッグタイトルがかかった試合では、時に足かせにもなると、白井氏は分析する。

「クライフの時から、オランダのサッカーはきれいに、攻撃的に点を取って勝ちたいという成功体験が国民やメディアを含めものすごく強い。ただ、W杯の大舞台になると、それだけでは勝てない。例えばアルゼンチンは自分たちのサッカーができない時には、ファウルを増やしたり、審判にプレッシャーをかけたりと、いろいろな手を使ってゲームを壊そうとする。勝つために、何か策を探す。それはアルゼンチンの文化でもある。一方でオランダは、ギリギリの勝負の中にも自分たちの快適さや華麗さを求めようとする。その解決策の幅の狭さが、国際大会で優勝という結果を残していない理由ではないか、と思います」

 ピッチ上以外にも、オランダ人の特性が不利に働く場合がある。大きなプレッシャーがかかるW杯。合宿地やホテルなどでいかに快適に過ごせるかは重要で、日本も大会ごとに工夫を凝らす。しかしオランダ人は、日本人以上にストレスを抱えると、白井氏は指摘する。

「オランダ人は、家族と離れて長期間合宿することへのストレスが非常に強い。

クライフですら家族を理由に78年のW杯を辞退したほどです。僕がオランダ代表やアヤックスの遠征に帯同した際は、本当に2泊3日でもイライラしていました。途中でディスコに行きたい、海が見たいと言い出す選手もいた(苦笑)。何週間も、ホテルとトレーニング場の往復などには耐えられない。日本人の、チームのために自己犠牲を払える文化は、彼らにはない強みです」

 現在はフェイエノールトで得点王に輝いたFW上田綺世や、欧州各国でプレーする日本代表選手の活躍もあり、オランダが日本を甘く見るという可能性は低い。その状況下で、白井氏が初戦という状況下で警戒すべきと指摘するのは「割り切った」オランダだ。

「今回は初戦。欧州のシーズン終了直後で、選手たちのコンディションもバラバラで入ってくる。そこでクーマン監督が、初戦だからとプライドを捨て、5バックで守り、日本のミスを突いて1―0で勝つというような現実的な戦いをしてきたとき、日本にとって非常に難しい試合になるのではと思います。ただ、その現実的な戦い方と理想の戦い方の間で試合経過でブレが生じた時、日本にとって大きなチャンスになることも考えられます。」

 どんな戦いでも、オランダが強敵であることは間違いない。ただ相手について知ることは、勝利への第一歩となることは確か。さまざまな戦い方ができる点は、今の森保ジャパンの強みでもある。

日本が勝利するためには、オランダの精神状態を見極め、冷静かつ勇敢に試合を運ぶ必要がありそうだ。

 ◆白井 裕之(しらい・ひろゆき)1977年7月10日、愛知県生まれ。48歳。24歳でオランダに渡り、複数のアマチュアクラブで監督を経験。2011―12年季にアヤックス入りして、アマチームのアシスタントコーチ、ゲーム・ビデオ分析担当者に。13―14年季から育成アカデミーのユース年代専属アナリストに。16年10月からオランダ代表U―13、U―14、U―15の専属アナリストも務めた。その後は鳥栖、FC東京、琉球でトップチームコーチなどを歴任した。

 ◆ヨハン・クライフ 1947年4月25日、オランダ・アムステルダム生まれ。17歳でアヤックスのトップチームデビュー。73年まで欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)3連覇。74年西ドイツW杯では全員守備、全員攻撃の「トータルフットボール」で準優勝。バロンドール(欧州年間最優秀選手)は3度。FW、MFとして活躍。監督としても90年代前半にバルセロナで4連覇を達成した。2016年3月に肺がんのため死去。享年68。

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