◆報知プレミアムボクシング ▽後楽園ホールのヒーローたち 第34回 金内豪

 帝拳ジムに移籍した金内豪は、順調に白星を重ねていった。両親の離婚で実父から解放され、もうあの苦痛を味わわなくていいと思っていたが、悪夢は繰り返された。

試合を終え、ファイトマネーが振り込まれる時期になると、再婚して新しい家庭を築いた母から連絡があった。

 「以前と同じように、お金をもらえる? 今までもらっていて、再婚したからなくなったでは、旦那の両親に顔向けできないから」

 理不尽な要求に、納得できないながらもお金を渡した。「父から自分を守ってくれた」という過去があるからだった。

 だが、精神的には限界だった。物事を悲観的にしか捉えられなくなっていた。この時期、「世界を目指して頑張ります」とマスコミを前に堂々と答えていたが、プライベートのストレスからボクシングが嫌いになっていた。1998年7月、杉田竜平(畑中)と空位の日本スーパーフェザー級王座を争った。格上の金内が有利とみられた試合だったが、8回KO負けした。プロ2敗目。あと1か月で24歳という若さで引退した。試合に敗れたこと以上に、すべてが嫌になっていた。

 「母の本当の姿が分かったんです。

守ってくれていると思い込んでいたが、実はいい母親を演じていただけだった。そうすることで、自分(金内)が何でも言うことを聞くと思っていたんでしょう。母に洗脳されてたというか…。家にいないで、いつも働いていると思っていたが、遊びにも行っていた。自分のファイトマネーで…」

 高校3冠という金看板を背負いプロの世界に飛び込みながら、結果を残すことができなかった。父親に強制的に借りさせられたカードローンの借金は、約500万円にまでふくれあがっていた。「借金の取り立てが家に何度も来ました。『自分は使ってない、親にいってくれ』と言っても、自分の名前で借りているので、自分のところに来る。どうにもならなくなった」と、24歳でうつ病と診断された。

 仕事は何度も変わった。飲食関係、介護施設、生まれ故郷の新潟に戻り乗馬クラブのインストラクター。28歳で結婚するが数年後に離婚。

父子家庭となり、育て上げたひとり娘は19歳の時に一人暮らしをスタートした。宮崎に行ったのは、再婚した妻の故郷で、2人で静かに暮らすためだった。経験のあった介護の仕事をしようと思っていた矢先、運動不足だったことからダイエット目的でボクシングジムに通い始めると、ただならぬ身のこなしに、ジムの代表からトレーナーのアルバイトを頼まれた。その時、ジムで指導した9歳の男児との出会いが大きな転機となる。いじめられっ子だったことを心配して、両親が希望してジムへと入会させた子だった。ボクシングの指導というよりも、毎日だっこしたり、けん玉をしたりと、遊びがメインだった。しばらくして本業を探すためにトレーナーを辞めると、すぐに男児の両親から相談を受けた。「これからも息子を指導してくれないか」と。

 楽しい思い出がひとつもないボクシングを頭の中から切り離したかった。宮崎に来たのは、過去を一掃するためという理由だったが、男児の両親からの言葉も頭から離れない。決め手となったのは、現役時代から親交のあった先輩で、”逆転の貴公子”といわれた元日本バンタム、スーパーバンタム級王者・高橋ナオト(58)からの助言だった。

 「お前にはボクシングしかないだから。

この機会に何が何でもボクシングにすがれ」

 ボクシングから離れようとして離れられない、うじうじした自分に気付いた。結果を残すことができなかったボクシングだが、自分にできることは、ボクシングを教えることぐらいしかない。

 「ナオトさんのアドバイスもあって、その子一人だけ育ててみようかと。自分の持っている知識、技術を伝えようと。ボクシングにすがることを決めました」

 ジムは6月に3年目を迎えた。小学校3年だった男児は6年生となり、練習を休む日はなく、「オープン以来、皆勤賞です」と金内は目尻を下げた。

 誰かに相談することもせず、一人悩みを抱え込んだ現役時代。「華やかな世界にいると思われていたのでしょうが、実は“血みどろ”の生活でした。食べるものもなくて、パンの耳や具の入っていない100円のカレーを食べていた」と振り返った。幼少時から父の暴力に耐え、高校時代は沖縄・興南高にボクシング留学したことで、仲間と楽しい3年間を過ごすことができた。しかしその後はファイトマネーを親に取られ、試合ができなければ、「その分を補填しろ」とカードローンを強要された忌まわしい過去。まだ二十歳にもなっていない金内が、まともな精神状態でいられるはずもなく、ボクシングどころではなかったはずだ。

試合は前半に強く、後半に入ると失速するのがいつものパターンだった。「ハートが弱い」「スタミナがない」という声も多く聞かれたが、すべてを狂わせる一番の要因は、ゆがんだ親子関係にあったことは否定できない。

 4年前に妻と2人、宮崎に来てからは「普通の生活ができるようになった」とうれしそうに話す。長い時間をかけ、経験したことのない「普通」にたどり着いたからだろう。

(近藤 英一=敬称略、おわり)

 ◆金内 豪(かねうち・ごう) 1974年8月4日、新潟県長岡市生まれ。小学校4年の時に埼玉県浦和市に転居。中学3年からボクシングを始め、高校は名門の沖縄・興南高に進みインターハイ、国体、選抜を制し3冠を達成。アマ戦績は66勝(51KO・RSC)5敗(62勝44KO・RSC5敗と発表されているのは間違い)。93年5月にビクトリージムからプロデビュー。96年に帝拳ジムに移籍し、98年7月に杉田竜平(畑中)と日本スーパーフェザー級王座決定戦を行うが、8回KO負け。プロ戦績は10勝(6KO)2敗。身長172センチの左ボクサーファイター。

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