ここ数年、「〇〇ペイ」を代表するフィンテックサービスにより、現金を扱う機会が激減している。経済産業省が、2025年までにキャッシュレス決済比率を40%まで引き上げる「キャッシュレス・ビジョン」を発表したことで、キャッシュレスの動きは大きく加速したと言えるだろう。

一方で海外に目を向けると、キャッシュレス先進国のスウェーデンや韓国のように、一定以上のキャッシュレスを実現した国も登場し始めた。日本においても将来「現金」はなくなるのだろうか。

そんな「お金」の未来について、今回話を伺ったのはGVE株式会社(以下、GVE)の代表、房広治氏(以下、房氏)だ。ネパールの通貨「ルピー」のデジタル化をはじめ、発展途上国の法定通貨のデジタル化を行っている。「日本の通貨をデジタル化するのは難しい」と語る房氏に、日本の決済業界が抱える課題と目指しているビジョンについて話を伺った。

GVE房広治氏、日本の決済システムが抱える課題と10年後のビジョン
■房広治(ふさ・こうじ)
1982年早稲田大学理工学部卒業を機にイギリス留学
1987年にロンドンで英国系のインベストメントバンク本社にM&Aのプロとして就職
1998年日本の銀行免許を持ったUBS信託銀行の社長に38歳で就任。

2004年に独立。
2005年2月から始めたサンドリンガムファンドは、2005年の日本株の運用成績でNo1となり、ニュー・ファンドオブザイヤーとなる。
2006年に、Emcom傘下の上場会社が買収。Emcomの取締役に就任。Emcomの高速FXシステムがレバレッジ300倍を可能にし、Emcomの顧客3社で、日本のFX市場の過半数のマーケットシェアとなる。この時に、手数料ゼロをFX業界に導入。
現在のリテールFX業界のデファクトスタンダードを作る。
2017年にGVE株式会社を設立。代表取締役に就任。

10年後には「スマホひとつでなんでもできる時代」が訪れる

GVE房広治氏、日本の決済システムが抱える課題と10年後のビジョン
※リモートにて取材を実施

「私達が目指すのは、スマホひとつで決済から健康管理まで、なんでもできる世界です。」

取材の冒頭、房氏はそう語った。今や携帯電話ネットワークが世界中の人が住んでいる地域をほぼ100%カバーし、世界中どこに住んでいてもスマホが使える時代だ。スマホで決済ができれば、わざわざ現金を手に入れるために銀行やATMを探す必要はない。銀行やATMを見つけることは日本にいる我々にとっては大きな問題に感じないかもしれないが、例えば山岳地帯に住む人々にとっては死活問題だ。

房氏は現在、世界で起こっている現象を、「サピエンス全史」や「21 Lessons」の著者として知られる、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の言葉を借りてこう語った。

「ハラリ教授は、ダボス会議でこれからの時代に求められることを『B×C×D=AHH』という方程式で表しました。生物学的知見(Biological knowledge)とコンピューターの処理能力(Computing power)、データ(Data)を掛け合わせた結果が、人間をハックする(Ability to Hack Humans)能力という意味です。彼はそれら3つを持つものが『支配階級』となり、残りは『ユースレスクラス(無用者階級)』となると言っています。

そして現在、支配者階級に最も近いのがアメリカの『FAANG(Facebook、Amazon、Apple、Netflix、Google)』と中国の『BATH(Baidu、Alibaba、Tencent、Huawei)』です。しかし、アメリカと中国だけに支配される世界は怖いですよね。
他の地域からもそういう企業を作らなければいけない、そう思ったのが創業時に思い描いていたことです」

房氏の世界観に最も近いのがエストニアだ。GDPを見れば、決して豊かな国とは言えない小国だが、デジタル化に関して言えば世界トップクラスだ。国民一人ひとりにIDが与えられ、そのIDを使えばスマホから選挙の投票も免許証の更新もできるほか、パスポートにさえなる。そのため、市役所のようなものは必要なく、全ての手続きがスマホ一台で完結できるのだ。

「エストニアがここまでデジタル国家になれたのは、比較的新しい国であることが挙げられます。エストニアは約30年前に旧ソ連から独立した国ですが、初代総理がITオタクだったため、当時自分たちが一番いいと思う設計とシステムを導入しました。
一方で日本やアメリカは既存勢力が強すぎて、今から新しいシステムを導入するのは容易ではありません。その証拠に日本の銀行システムは、40年間も価格が変わっていないのですから。古いシステムを利用している先進国をDXするのは難しいため、私達は途上国のデジタル化、DX化に力を注いているのです。

ただし、私達の理想に最も近いX-Road(エストニアのデジタル行政を支えている技術)ですが、一つだけ問題があります。それはセキュリティです。とても高いセキュリティを誇っていると言われていたX-Roadでさえ、今まで3回、最近では、2017年にハッキングされているのです。
デジタル決済システムはハッカーから一番狙われやすいため、プラットフォームの中で、最も厳重なセキュリティが求められます」

房氏が言うには、X-Roadだけでなく大手の決済プラットフォームは漏れなく全てハッキングされた過去があると言う。しかし、唯一ハッキングされたことがない技術が、日本が誇る「FeliCa」だ。

「セキュリティには『Common Criteria(コモンクライテリア)』という国際基準があります。7段階でセキュリティ強度が表され、一番高位の7は軍事レベルのセキュリティです。一般的に銀行などに使われているシステムは4ぐらいですが、FeliCaは6+を記録しました。いかにFeliCaが安全かということが分るでしょう。

私が理想とするシステムには、FeliCa以上のセキュリティが必要不可欠です。そこで私は当時SONYでFeliCaを開発した日下部進に会いに行きました。彼は日本でこそ知名度が低いですが、世界で優秀な技術者として知れ渡っています。彼を口説いたことで私の理想に一歩近づいたのです」

ブロックチェーンでは法定通貨のデジタル化はできない

GVE房広治氏、日本の決済システムが抱える課題と10年後のビジョン

SONYの特許が切れたFeliCaやカード決済を分析して、新しいフィンテックを作り出した房氏。しかし、フィンテックで多くの人が思い浮かぶ技術と言えば「ブロックチェーン」ではないだろうか。2017年に大流行した仮想通貨に使われた技術で、今や銀行のシステムのDX化にも使われている。しかし、房氏は「ブロックチェーンでは法定通貨をDXするのには不十分だ」と語った。

「2018年に国際通貨基金(IMF)は、中央銀行発行デジタル通貨(CBDC:Central Bank Digital Currency)に使える技術の11の基準を発表しました。ブロックチェーンはその基準を満たしていません。ブロックチェーンにはいくつか弱点がありますが、その一つがエネルギー消費量です。ブロックチェーンは大量のエネルギーを消費するため、決済における膨大なデジタルトランザクションには対応できません。仮想通貨のように趣味の世界で使うには問題ありませんが、公的に使う法定通貨には不十分です」

一部の人間が趣味で使うのと違い、公式の通貨をデジタル化するとなると、使える技術は限られると房氏は言う。特に問題になるのはセキュリティだ。私達が普段利用しているクレジットカードに使われている「PKI」や、スーパーコンピューターでも解読に100年以上かかると言われる「桁数が大きい合成数の素因数分解」のセキュリティでも不十分だと房氏は語る。

「Googleが開発した量子コンピューターなら、スーパーコンピューターが100年かかる解読もわずか2分で行えます。Googleはそれを世界に発表し警鐘を鳴らしましたが、もしもイランや北朝鮮のような国が量子コンピューターを持ったら大変ですよね。私達が当たり前のように使っているフィンテックも、決して安全とは言えないのです」

現在、様々な国が通貨のデジタルを図っているが、技術に求められるハードルも高い。そんな中で、GVEのシステムが他社のシステムに勝っている点が5つあると教えてくれた。

「一つはセキュリティです。先程も言ったように、私達のシステムは世界最高峰のセキュリティを擁しています。2つ目はファースト、つまり素早く処理できるかどうかです。処理能力だけを見ても、法定通貨に使われる技術は限られてきます。そして3つ目はオープンであること。今ある金融システム全て繋がれるかです。更に4つ目に利便性、5つ目に低コストという点でも、私達の技術は海外の技術と比べて秀でています。

例えば現在、中国が93カ国をヨーロッパのユーロのような共通通貨にする計画を立て、途上国に技術を売っています。だいたいコンペの最後に残るのは私達と中国なのですが、中国のシステムにかかるコストは私達より一桁多いと聞きます。それだけ高額でも、中国が全てのコストを肩代わりするということで、様々な国のデジタル化を巻き込んでいるのです」

危機感のない日本では、通貨のデジタル化は難しい

GVE房広治氏、日本の決済システムが抱える課題と10年後のビジョン

世界で通用する技術を持つ房氏だが、「日本の通貨をDXするのは難しい」と顔をしかめる。その理由について日本の歴史から説明してくれた。

「日本の歴史を見ると、大きな改革が2回あります。1回目が明治維新で2回目が第二次世界大戦です。どちらもほぼゼロからの出発で、世界の新しい技術を積極的に取り入れたからです。明治維新の時は当時最先端だったイギリスの造船施設を買い、造船技術を取り入れました。戦後は世界中の技術を集めて高速道路などを建設しました。歴史を見ても分かる通り、国というのは窮地に立たされなければ大きな改革は起こせません。

今の日本のような先人の遺産で生きている状態で、改革を起こそうとしてもうまくいきません。現金決済における社会的コストがどれくらいかかっているのかご存知でしょうか。みずほ銀行が試算したところ、年間8兆円もかかっているのです。8兆円あれば、小さな国ならそれだけで通貨をデジタル化できますよ。

問題なのは日本人のほとんどがその事実を知らないということです。日本は無駄な8兆円のコストがかかっていても、困らずに生活できるほど豊かな国ということです。そんな状態でデジタル化を推進しても、遅々として進まないでしょう。おそらく日本の通貨が完全にデジタル化されるのは、世界でもかなり最後の方ではないでしょうか。

それを表すように、先日10万円の補助金を交付するだけでも混乱していますよね。本当なら12兆円を配るだけでいいはずが、なぜか何千億円というコストが上乗せされていました。そんな無駄なお金を使えるのは日本に余裕がある証拠ですし、そんな状態ではイノベーションは起きません」

日本の現状を厳しく分析する房氏だが、決して悲観的な未来を思い描いているわけではない。私達の世代では日本は変えられないが、日本にはまだ大きな可能性が眠ってるとし、若者へのアドバイスを語ってくれた。

「日本には多くの優秀な技術者がいますが、そのほとんどが認知すらされていません。リチウムイオン電池でノーベル賞を受賞した吉野彰さんだって、日本で旭化成にいるときは誰も知りませんでした。彼だって世界ではとても有名な方だったのに関わらずです。彼のような優秀な技術者が活躍できる土壌ができれば、日本ももっとイノベーションが起きていくのではないでしょうか。

しかし、技術者に事業をやれと言っても無理があります。彼の技術を活かせるアントレプレナーやBizDev人材と、そこに資金は投資する企業がもっと増えなればいけません。少なくとも20億円の投資は必要ですね。もっと起業を支援する企業が増えれば、日本もシリコンバレーのようになれる可能性は大いにあると思っています。なんせ80年代の日本は世界を牽引していましたし、ジョブズだってSONYの大ファンで、SONYの真似をしていたのですから」

もっと優秀な研究者・エンジニアにスポットライトが当たるようになれば日本はもっと面白くなると語る房氏。ビジネスに関するアドバイスも、映画作りに例えて教えてくれた。

「いい映画を作るにはいい脚本といい監督、そしていい役者が必要です。それは、ビジネスも一緒です。私達で言えば、3G回線でほぼ100%の人口がカバーできる世の中で、現在17億人の大人が決済口座をもっていません。その人達がスマホで気軽に銀行口座を作ってスマホで決済できるようにするのが脚本です。私達が作った脚本をどう実現するのか、監督の中央銀行にかかっています。役者は携帯会社やアプリ会社、もしくはスマホメーカーといったところでしょうか。

この時大事なのは、脚本を固めすぎないこと。原作よりも映画の方がヒットしたケースもあるように、監督が演出できるだけの余白は持たせておかなければなりません。ガチガチに計画を固めたビジネスが失敗するのは、感覚的に理解できるでしょう。

また、脚本を作る時は、世界に目を向けてください。日本のマーケットばかりを見ていると読み間違えます。日本はそこそこ大きなマーケットがあるため、つい日本だけを見て脚本を書こうとしてしまいます。しかし、日本だけを見て作った脚本には限界があります。その限界を突き破るためにも、これから脚本を書く方は海外で何を起きていのかベンチマークしてほしいですね」

執筆:鈴木光平
取材・編集:BrightLogg,inc.