ライムスター宇多丸がお送りする、カルチャーキュレーション番組、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」。月~金曜18時より3時間の生放送。


宇多丸、『ホテル・ムンバイ』を語る!【映画評書き起こし】の画像はこちら >>

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今回評論した映画は、『ホテル・ムンバイ』(2019年9月27日公開)です。

宇多丸:
さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。改めまして、昨年のリスナー枠で当たらなかった作品を扱うリスナー枠取りこぼしウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『ホテル・ムンバイ』。


(曲が流れる)
2008年、インド・ムンバイ同時多発テロの際、テロリストに占拠されたタージマハル・パレス・ホテルの悲劇を映画化。テロリストによって500人以上の宿泊客と従業員が人質に取られる中、宿泊客を逃すためにテロリストに立ち向かうホテルマンの1人を、『スラムドッグ・ミリオネア』などのデブ・パテルが演じるほか、部屋に取り残された子供を救出するために行動を起こすアメリカ人旅行客役として、『君の名前で僕を呼んで』などのアーミー・ハマーも出演。監督は、本作が長編初監督作となるオーストラリア出身のアンソニー・マラスさん、ということでございます。

ということでね、初のリモート放送ウォッチメンでね、本当に「ラジオ、できるかな」という状態でお送りしますが。

ということで、この『ホテル・ムンバイ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。

メールの量は、「普通よりちょい少なめ」です。まあね、ちょっと見られる環境がある方、ない方いらっしゃるでしょうしね。あと、このご時世的に、ちょっと『ホテル・ムンバイ』を見るのはキツいかな?っていう方もいらっしゃるかもしれないですね。

でも、賛否の比率は、9割が褒めの意見。「忘れられない1本。今年のベスト」「上映中、ずっと緊張感が続き、見終わった後には疲れ果てていた」「実話ベースなのにちゃんと映画としての面白さもある」「テロリスト側の描き方もフェア。

だからこそテロの虚しさやテロを生み出した社会への憤りが湧いてくる」という意見が多かったということです。一方、「もう少しホテルマンたちの葛藤を描いてほしかった」といった声もありました。

■「でも、あの南ムンバイの小さな映画館に行くことはたぶんもうないと思います……」(byリスナー)
代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「れいれいれいら」さん。「私は外資系の会社勤務で年に3、4回のインド出張があり、ムンバイに数ヶ月、住んでいたこともあります。昨年の秋、珍しく日本公開から少し遅れてインドで本作が公開され、ちょうどそのタイミングでムンバイ出張があったため、せっかくだから現地で見ようと見逃していた本作を見に行きました」。

うわあ、ムンバイ現地で『ホテル・ムンバイ』!

「……しかも、ちょうど惨劇の舞台となってしまった南ムンバイ、タージマハル・ホテルのすぐ近くの小さなショッピングモールの映画館で英語版が上映されているとのこと。『映画の前後にタージマハル・ホテルにも寄って行こうかな』ぐらいの軽い気持ちでタクシーを使い映画館に向かいました。映画が始まり、私は冒頭からいきなり恐怖で震え上がりました。テロリストたちがタクシーを走らせる道。それは私がたった今、通ってきた道と全く同じで、彼らがタクシーの窓から見ていた光景は私がついさっき、ぼんやりと眺めていた景色と完全に重ったからです。

とてもない臨場感と共に、自分が見慣れた光景が破壊され、普通の少年たちがアサルトライフルで人を殺しまくる光景が本当に怖くてたまりませんでした。

また、テロリストの少年たちの言動も『理解できない』というよりは細部まで納得がいってしまうもので、特に豚肉をうっかり食べた・食べないのジョークのくだりのシーンはいかにも現代の普通のムスリムの少年たちの悪ふざけっぽくてゾッとしました。『機動隊はまだデリーにいる』と聞いた時は、私もインドに住んだことがあるからこそ伝わってくる『それは間に合わないな……』という絶望感がありました。

普段、よくも悪くも純粋で信心深いインド人が働いているからこそ、ホテルスタッフたちの身を呈して行いは決して映画のための誇張だとも思えなかったし、デブ・パテル演じるシーク教徒のホテルスタッフがあっさりターバンを外したシーンは(その信仰の重さを知っている分)胸に迫るものがありました。映画が終わり、帰りには予定通りタージマハル・ホテルに立ち寄ってみましたが、そこには映画と同じデザインの制服で笑顔で私を迎えてくる従業員と、まるでなにもなかったかのように佇む美しいホテルの姿がありました。

インドの映画文化は本当に素晴らしく、私は出張のたびにインドの最新設備の映画館で映画を見るのをいつも楽しみにしていました。いつかコロナが収束したら、またインド出張に行き、映画館にも行けるでしょう。

でも、あの南ムンバイの小さな映画館に行くことはたぶんもうないと思います。『ホテル・ムンバイ』鑑賞は私にとって最も忘れられない映画体験のひとつになりました」というね。これはすごいですね。「シアター一期一会」として、これは強烈な体験だったと思います。れいれいれいらさん、ありがとうございます。

一方、「たくや・かんだ」さん。「『ホテル・ムンバイ』、見ました。ホテル内でのハラハラドキドキ感もすごかったし、重要登場人物があっさりと○○になってしまう様も、まさに現実の事件をベースにした作品という感じでした」という。それでいろいろと書いていただいて……「ひとつ、不満があるとしたら、客の命を守るホテルマンたちがあまりにヒーロー然としていることでしょうか。いくら『お客様は神様です』と言っても、映画的にはもう少しホテルマンたちの迷いを描く場面があればな……と思いました」。

ただまあね、「家に帰っていいですか?」っていうんでね、苦渋の思いで帰る方もいたりとか。あとはやっぱりその、お客のことをずっと慮っていったあの女性従業員、なのに……っていう描写もあったりしてね。そこはなんか、決して言葉は多くはないけれど、描かれてる部分もあったかな、という風に個人的には思ったりしますが。とはいえ皆さんね、基本的には本当に褒めのメールばかりでした。ありがとうございます。

宇多丸、『ホテル・ムンバイ』を語る!【映画評書き起こし】

■近年多い実在のテロ事件を当事者視点で描いた作品。本作の元になった事件もすでに2作映画化。
といったあたりで『ホテル・ムンバイ』、私も今回このタイミングで、Blu-rayをあえて取り寄せて、自宅で拝見いたしました。

2008年、インドのムンバイで実際に起きた同時多発テロを題材にしているということで。本作のようにですね、近年……特にやっぱり2001年の9.11、アメリカ同時多発テロ後、その後数年経ってから、要は製作側や観客側の精神的なほとぼりが冷めてきて以降、実際にあった多数の死者が出たテロとか、あるいは紛争が起こったという、そんな残酷な事件などをですね、多くは無力な一般人である当事者に寄り添った視点で、リアルに生々しく切り取った映画というのが、明らかに増えている、というような感じがします。

9.11で言えばやっぱり、『ユナイテッド93』とかね、あのあたりもそうでしょうし。あとは今回の『ホテル・ムンバイ』同様、「ホテルマンが体を張って、半端じゃなく暴力的な事態から人々をできる限り守ろうとする」という話として、やはりこれは1994年のルワンダ大虐殺を描いた、2004年の『ホテル・ルワンダ』とか、このあたりが当然まず頭に浮かびますし。あとはまあ、僕のこの映画時評コーナーで扱ったもので言えば、前の番組時代、2018年3月3日に扱った、クリント・イーストウッド監督の『15時17分、パリ行き』。これはね、2015年にオランダ~パリ間の鉄道の中で実際に起こった無差別テロ、これを扱った作品なんかもありました。他にもね、『キャプテン・フィリップス』とかね、枚挙に暇がない感じなんですが。

それでこの、2008年に起こったムンバイ同時多発テロ。その中でもこのタージマハル・パレス・ホテル、ムンバイが誇る五つ星の最高級ホテルでの無差別大量殺人、および立てこもり事件っていうね、これを題材に撮った映画というのも、実は今回扱う、これは2018年のオーストラリア・アメリカ・インド合作の『ホテル・ムンバイ』以前にもですね、僕が知る限りでもすでに2本、映画が作られてるわけですね。まずは2015年のフランス映画で、これは日本タイトルが『パレス・ダウン』っていうね。原題はズバリ、『Taj Mahal』っていうタイトルで。これは、宿泊客の18歳のフランス人少女の視点に、ほぼ絞った作りになっている。最後の方、階下の女性と窓越しに励まし合うところとか、ここなんか、なかなかいい作品でしたけどね。

あとはまあ、2017年にはオーストラリアとネパール合作、これ、日本語タイトルは『ジェノサイド・ホテル』、原題が『One Less God』というね。こちらは群像劇で、テロリスト青年側の描写もそれなりに割いてあるという、比較的今回の『ホテル・ムンバイ』にも近い作りになっている作品で……なんだけど、まあ全体に割とまったりとしたテンポと、妙にスピリチュアルなノリというか語り口が特徴的な1本だったりして。まあ、それぞれに描き方の角度が違うのはこれ、当然です。要するに事件に遭った方がいっぱいいらっしゃいますし、どういう角度から切り取るか、があるのは当然として。

個人的にはやはり今回の『ホテル・ムンバイ』が、メッセージ性のバランスや、エンターテインメントとしての質の高さなどなど、その過去の二作と比べても、段違いで突出した作品であるのは明らかであるような気がしますね。という風に思います。

■ジャンル的に近いのはグランド・ホテル形式のパニック映画、もしくは「ジョン・マクレーンのいない『ダイ・ハード』」
監督と、共同脚本、共同編集というところにもクレジットされている、アンソニー・マラスさん。なんとこれが長編映画デビューなんですね。この前に撮った2011年の短編『The Palace』というのも、これも1974年に本当に起こったトルコのキプロス侵攻を描いた作品ということで。

僕、今回本当に申し訳ないんですけど、フルサイズの作品は見れなくて。ちょっとこれ、予告編しか見られなかったので。まあでもそこからだいたいどういう作品かっていうのがうかがえる限りでも、突然の圧倒的な暴力によって日常が根本からひっくり返されてしまう恐怖……たとえば今回の『ホテル・ムンバイ』にも出てきますけど、クローゼットの中で息を潜めて、殺人者、追跡者の行動を覗き見る、というような、そういうサスペンス的なくだりがあったりとかして。限りなく今回の『ホテル・ムンバイ』に直結する作品のようですね、この『The Palace』は。

しかも、実はこのアンソニー・マラスさん自身が、まさにその紛争の最中、ギリシャから難民として逃げてきたっていう、そういう経験をしている方だそうで。なので、その短編『The Palace』、そして今回の『ホテル・ムンバイ』と、まあ一貫して描いている、突発的暴力によってそれまでの生活がいきなり破壊されてしまう、というその極限状態描写、その圧倒的な緊迫感、リアルさみたいなものは、まさにこのアンソニー・マラスさんご本人が、体験してきたことだからこそ、なのかもしれないですよね。筋金入り、っていうことですよね。

さらに本作には、エンドロールにも出てきますけど、インスパイア元になった2009年のドキュメンタリー、『Surviving Mumbai』というドキュメンタリーがあって。これは僕も今回、日本語字幕とか付いてない状態ですけど、配信のレンタルでこれは見ることができました。こっちはですね、そのタージマハル以外にも標的になった高級ホテルの、オベロイ・トライデント・ホテルという、そこにいた人々の話なんかも入ってるドキュメンタリー作品なんですけど。とにかくその中で、本物の生存者たちが語っているさまざまなエピソードが──後ほど決定的なネタバレはしないようにしながらお話ししますけど──今回の、劇映画としての『ホテル・ムンバイ』にも、そのドキュメンタリーで生存者の人たちが語っているエピソードが、しっかり反映されてたりする。

ということで本作、この『ホテル・ムンバイ』は、アンソニー・マラスさんと、共同脚本そして製作総指揮のジョン・コリーさんという方が、当事者とか関係者に取材・調査を重ねて……たとえば、一応の主人公、というか、まあのこの映画は群像劇なので、より正確にはメインキャラクターの1人、といった感じの、デブ・パテルさんが演じる……デブ・パテルさん、もちろん『スラムドッグ・ミリオネア』、『チャッピー』とか、『LION/ライオン ~25年目のただいま~』とかありましたけども。デブ・パテルさん演じるホテルマン、アルジュンのようにですね、複数のモデルとなる人物を混ぜた、架空のキャラクターもいれば、アヌパム・カーさん演じるオベロイ料理長っていうね、これは実在の方ですね。非常に有名なコック、料理人の方なんですけど、オベロイ料理長のように、実在の人物もいる、という感じで。まあ事実を元に、1本の劇映画として再構成した作品、という感じだと思います。

既存の映画ジャンルで一番近いところで言うと、やっぱりですね、特にビルが舞台で、階を上がったり下りたりするところにまた見せ場やサスペンスが生まれる……状況に応じて、上に行った方がいいのか、下に行った方がいいのか、みたいなところで見せ場を作っていくあたり、やっぱり『タワーリング・インフェルノ』みたいな、いわゆるグランド・ホテル形式のパニック映画、あるいは、「ジョン・マクレーンのいない『ダイ・ハード』」というか、そういうことですよね。

ちなみにこの『ダイ・ハード』を連想するあれとしては、最初にあのデブ・パテルさん演じる主人公のアルジュンが、靴を忘れてきちゃったって言って、足に合わない靴を履いてる、っていうところでね、『ダイ・ハード』だったら確実にそれを活かしたなにか見せ場があったわけですけど、あれ、別にサスペンス的に生かされるくだりがあるのかな?って思っていたけど、別にそれはなかった、っていうのはありましたけどね。はい。まあ、そんなような感じだと思ってください。

■本作は、テロリスト側の青年たちでも、あくまで「人間として見る」ことを投げ出さない。
ただしですね、その一方で、同時にテロリスト側……というより、「テロの駒として使われた」青年たち側の視点も描いているのが、本作、この『ホテル・ムンバイ』という作品の、ひとつの特徴で。たとえば、さっき言ったクリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』だと、元になったルポルタージュには、テロ実行犯の青年側のストーリーっていうのがあったわけです。これ、原作の本、日本語でも読めますけども。これはこれですごい、この話があることがまた重みを増してるようなルポルタージュなんですけど、映画版では、バッサリとそこを切ってますよね。テロリストの青年側の事情みたいなのは全く、イーストウッドは切ってるわけですけど、それとは対照的なスタンスと言えるという。

で、それはまあ、本作全体が主張しようとしているメッセージとも関係していることなんですけど……とにかくその映画の冒頭に映し出される、ゴムボートに乗ってムンバイに上陸してくる青年たち。まだあどけなささえちょっと残すようなその彼らに対して、パキスタンにいたというその首謀者らしき男の声が、ずっと聞こえてくる。で、その男が、冒頭から最後に至るまで絶えず、その彼ら以外の人々、彼ら以外の世界への憎しみをあおるような言葉を、ずっと吹き込み続けているわけですね。特に印象的なのは、「あいつらは異教徒なんだから、人間と思うな」っていう。この「人間と思うな」っていう考え方、このセリフが、非常に印象的なわけです。

つまり彼らはまさに、「あいつらは異教徒だから、人間扱いしなくていいんだ」っていう風に信じている……というよりも、信じ込まされてきたから、実際その後、平然と人々を殺しまくるわけですよね。なんですけど、しかし一方でですね、その青年たち。特にその中の1人に描写が集約されてるんですけど、青年たちのうちの1人がですね、たとえばそのタージマハル・ホテルの、巨大で美しいロビーに足を踏み入れて、思わず「えっ、なんだ、これ? こんなの初めて見たよ。まるで楽園だ……」って、ちょっとついうっとりしてしまったり。その全く同じ青年がですね、今度は、水洗トイレがあるのを知らなくて。「これ、水を流せるんだ! これ、いいね!」って驚き喜んだり。

あとはその、食べ物をつまみ食いして、「ウマッ!」みたいになったりですね。あるいはさらに後半では、その首謀者が、自分がたとえばそのテロをやった後に死んだとして、本当に家族にお金をくれるのか?を心配しだして。で、こっそりその家族に電話して、号泣してたりもする、という。要は、かなり貧しい環境で生まれ育って、他の世界のことを知らないまま……で、その純粋さが故に、おそらくそこにつけ込まれてこうなってしまっただけの、普通の青年でもあるんだ、ということが、割としっかり描かれるわけです。この『ホテル・ムンバイ』は。

その中で、中では割と冷酷なリーダー格の男でさえ、「What's your name?」っていうすごく簡単な、基本的な英単語、あるいは会話さえ、全く分からない状態でここに来てるぐらいで。とにかくやっぱり、相当な貧困と無知……つまり、教育が行き届いてない状態っていうのがベースにあるんだな、ってことを、かなり意識的に描いている作品なんですね、この『ホテル・ムンバイ』は。つまり、テロ実行犯たちがですね、どれだけ……もちろん、映画の中でも、ひどいんです。極悪非道なんです。やっぱり見ていたら当然、怒りもわくし、憎しみもわくわけなんです。なんだけど、この映画自身の語り口は、彼らをあくまで、それでも……もちろん、「人でなし」なんですけどね。でも、あくまで「人間として見る」ことを、投げ出さない。

つまりですね、作品の語り口そのものが、テロリストと同じ次元に堕さないように、気をつけているわけです。つまり、「他者にレッテルを貼って、人間と思わない」っていうその思考に決して陥らないように、映画自体が心がけている作品だ、ってことなんですね。事実、先ほど言ったですね、本当は単に純朴なだけでもあるそのテロリスト青年が、ついに……首謀者からあれだけ「あいつらは人間だと思わなくていい」って言われて殺してきたその青年が、ついに、どうしても相手を「人間と思わない」でいることが、できなくなってしまう。この瞬間。本作で間違いなく最も美しい、感動的な瞬間というのがある。

しかも、皆さん……驚くべきことに、この話こそがまさに、先ほど言った元になったドキュメンタリーで、生存者が語っていた事実を元にしたエピソードなんですよ! これこそが本当の話なんですよ!というね。しかもそれは、劇中で2度ほど、もちろん状況が状況なだけにまずは否定的に語られる、その「祈り」というものをめぐる意味……つまるところ「信仰」の意味ですね。「信仰なんてものがあるから、こんなことになっているんだ」、あるいは、「信仰なんて意味があるの?」っていう、その信仰というものの意義を非常に真摯に問う作者からのメッセージが、この最も感動的な場面にも込められている、というね。

■エンターテイメント的な面でもきっちり高レベルで「面白い」
で、そういうことに関して言うと、「他者」をどう見るか?っていうことに関しては、テロリスト側だけではなくて、宿泊者側、つまり、一般……我々の側にもある偏見、という面にも、ちゃんとスポットを当てる。たとえば中盤。その主人公アルジュンの、シーク教徒としての姿。ターバンを巻いていたり、ヒゲ姿であるというその装いに関する、ある白人女性とのやりとり。ここで、我々、一般の側にもある、他者として人を見る視線っていうものも、正面から誠実に描こうとしている、ということなんですね。

ということで、ちょっと踏み込んだメッセージの話からしてしまいましたけども、この『ホテル・ムンバイ』という映画の偉さというのは、もちろん今言ったようなメッセージの深さ、バランス感覚の素晴らしさ、これももちろんあるわけですが、それと同時にですね、これもメールで書いてる方が多かったですが、やはりエンターテイメント的な面でも、きっちりと高レベルで「面白い」っていうことですね。めちゃくちゃ面白いんですよね。

序盤、それぞれのキャラクターの日常描写から、わりと脇の人物まで、くっきりと端的にスピーディーに、観客に印象付けしていく。そんなにクドクドとね、「この人はこういう人で……」なんて語らなくても、ちょっとしたセリフとか、ちょっとしたたたずまいとか、ちょっとした他の人との関係性で、「この人はこういう人」っていう印象付けをしていく。その手際だけでもう、長編一作目にしてすでに熟練のワザ感があるぐらい、上手いですし。そこからですね、いよいよいざテロが開始されて。みるみるうちに、その日常が崩れていく。そこからの、サスペンスからサスペンスへの……要するに状況の変化に従っての、サスペンスからサスペンス。

手を変え品を変えの、その見せ場が連鎖していく。その構成の巧みさと、引き出しの多さ。あとは、奇をてらわない、非常にオーソドックスな見せ方なんだけど、やっぱりそのツボを押さえた的確な演出ぶり、という。本当にこれ、グイグイグイグイ引き込まれてしまう。たとえばですね、ホテルマンのそのアルジュンと並ぶ、宿泊客側のメインストーリーと言ってよかろう、アーミー・ハマー演じるアメリカ人の建築家の夫と、ナザニン・ボニアディさんという方が演じているザーラという、この方は中東系の女性なわけですね、この夫婦。

彼らは、まだ生後間もない感じの赤ちゃんを、ティルダ・コブハム=ハーベイさんという方が演じているベビーシッター、サリーさんという方に預けたまま、そのテロに巻き込まれてしまう。要するに、赤ちゃんとずっと離れてるっていうのはまずひとつ、最初の状況としてある。それで最初、そのベビーシッターさんが、シャワーを浴びていて電話に気付かない、っていう、まあもちろんベタではあるんだけど、普通にやっぱりここもハラハラさせられますし。

その後……これは全編に渡ってですね、ドアがノックされる度に、そのドアをノックしているのがテロリストなのか誰なのか、つまり、「出ていいやつか、ダメなやつか」サスペンスが発動するわけです。しかも場合によっては、開けた途端に、即射殺!になったりもするので。つまりこの映画のキモはですね、どんな行動が正解か誰にも分からない、っていうまま話が進む、というところなんですね。それで、時に観客にだけは、ちょっと神の目の視点で、複数視点がある分、「ああっ、ダメダメ! そこは開けちゃダメ!」みたいなのがあるから、そこでもさらにサスペンスが増したりする、そんな作りになってるわけですけど。

■巧さ、上質さ、そしてもちろんメッセージの素晴らしさ。なるほど、これは一級品!
それでまず、そのメイドさんが、ノックに対してドアを開けるかどうか。これで一発目のサスペンスが来てですね。そこからも、さっき言った、クローゼットに隠れて追跡者をやりすごそうとする、っていうくだり。これは本当に、サスペンス・ホラー映画の、わりと定番的なシチュエーションなんだけども、この『ホテル・ムンバイ』は、そこにですね、さっき言った生後間もないド赤ちゃんという一要素を加えることで、さらに何倍もの「うわー! やめてくれー!」っていう緊迫感を高めている、という。ここが本当にすごいあたりでしたし。

あるいはその後、アーミー・ハマー演じるそのお父さんがですね、ベビーシッターのいる部屋に単身向かおうとする、というその一連のシークエンス。たとえば、同じショット内に、それぞれ見えない位置にいる、そのアーミー・ハマーと、他の客と、テロリスト、っていうその位置関係の見せ方。これはアンソニー・マラスさん、このへんが非常に上手いですし。互いの距離感、位置関係を、これ以上ないほど端的に示しているからこそ、まさしく肝が冷えるような恐ろしさを感じさせる、見事な見せ方。さらにそこから連続して、今度はエレベーター内。「あっ! 途中階に止まっちゃう!」っていうところのハラハラ、からの、その食べ物を乗せたワゴンを挟んで、そこに……しかもそこは、さっき言ったように、彼ら(テロリスト)側の人間性演出にも重なっていたりする、という、また全く異なる空間を使ったサスペンスを用意してたりとか。

はたまた終盤、とある宿泊客の、気持ちはわからなくないが致命的な迂闊行動……これも、本当にあった話です! 皆さんね、『ダイ・ハード』でも描かれているように、こういう時には気をつけなきゃいけませんよ。その行動によって、ついにテロリストたちがね、すぐ背後に迫ってきてしまう。ここのもう、『悪魔のいけにえ』か! という絶望的なね、同一ショットに収まった恐ろしい追いかけっこであるとか。とにかく、単純にサスペンス、スリラーとして、普通に、たたみかけるように面白い。

その上で、さっき述べたように「他者を人間と思うな」的な思考……それはテロリスト側のそれであり、同時にそのテロリストを単に悪魔的な存在として切り捨てる思考でもあるわけですが、そこには陥らない、語り口とメッセージ。そしてある、驚くべき感動的な瞬間を用意してくれる。しかもそれこそが、事実に基づく部分だ!という。

つまり「現実に」、世界や人間に希望はあるんだ!っていうことも示す、ということですね。そんなところまで、あくまでサラリと感じさせてくれる。「ある男が家から出かけ、帰ってくるまで」というところを含めた、全体の構成の美しさ、上手さ。撮影・編集を含めた、見せ方の巧みさ。セリフの大小に関わらず、キャラ分け、印象づけをしっかりしている役者陣と、その演出の上質さ。そしてもちろん、メッセージの素晴らしさ。ということで、これはなるほど、一級品でございました!この機会に見れて、本当にこれ、良かったです。

なかなか怖い映画ですし、ちょっとふさぎがちな日々にはハードかな、と思われるかもしれませんが、ちゃんとしっかり希望も残す作品にもなっておりますので。ぜひこのタイミングで、お家でウォッチしてください!

宇多丸、『ホテル・ムンバイ』を語る!【映画評書き起こし】

(配信限定作品のリストの中から、スタジオにいる山本匠晃アナウンサーがガチャを回した結果、次回の課題映画は『アンカット・ダイヤモンド』に決まりました)

以上、「誰が映画を見張るのか?」週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆4月17日放送分より 番組名:「アフター6ジャンクション」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200417180000