黒木瞳は八女市立黒木中学校を卒業すると、遠方の市街地にある福岡県立八女高等学校に進学して演劇部に所属。女優になりたいという夢を高校の先生が応援してくれたことで頑張ることが出来、1979年4月に宝塚音楽学校へ入学した。
地元が大好きな彼女は芸名を名所「黒木の大藤」からとって「黒木藤子」と考えていたが、折しも五木寛之さんの『朱鷺の墓』を宝塚でミュージカル化した頃で、同郷の先輩・後輩という縁もあり「黒木瞳」と命名されたのだという。黒木はそのエピソードを振り返りつつ「だから(当初芸名に考えていた)藤子ちゃん負けたんですね」と笑っていた。
このたびのロケで訪れた母校の黒木中学校で再会した同級生によると、黒木は子どもの頃から歌が上手くのど自慢大会で当時ゴールデン・ハーフがカバーしたヒット曲『黄色いサクランボ』(1970年)を歌っていたそうだ。
そんな黒木は高校卒業後、熊本県の音楽大学に進学予定だったほど音楽が好きで、福岡県立輝翔館中等教育学校の校歌を作詞したのもそうした感性からではないだろうか。
2004年、黒木町に輝翔館中等教育学校が開校する際に校歌の作詞を依頼された彼女は「この町で育った私が感じる黒木町、ふるさと」を伝えたいと考えて書いたという。
一行が訪れた輝翔館の体育館には『輝翔館中等教育学校 校歌』(作詞:黒木瞳 作曲:ビリー山口)が掲げられており、「自然あふれる情景、人と人との出会い、愛することの大切さ、優しさや正しさ、勇気を分かりつないでいく」といった思いが伝わる内容だ。
黒木が「学校はもちろん勉強もしないといけないが、社会性、人と人とのつながりを学ぶところでもある―そういう気持ちを込めました。校歌らしからぬ歌詞なので申し訳ないんですけど」と説明するが、羽鳥慎一たちは「そんなことないです」と感心していた。
さらに土曜日ながらサプライズで生徒たち100人、吹奏楽部30人により校歌を合唱してくれ、黒木も目を潤ませながら一緒に口ずさんだ。
彼女は「校歌っていうのは義務で歌う時もあるけど、何度も何度も歌うものだから。きっとこの歌詞が、私の思いが、皆さんの心にちゃんと植え付けられていたらいいなと思っています」と話して、生徒たちを激励した。
ロケのエンディングで羽鳥から「最後に黒木町のいいところを教えてもらっていいですか」と振られた彼女は、地元でおなじみの「黒木です ひとみが見てます そのマナー」という交通安全の標語を紹介して笑いを誘ったが、もし「黒木藤子」になっていたらこの標語も誕生しなかっただろう。
視聴者からはTwitter上で「えー輝翔館って校歌の作詞、黒木瞳がしてたんか知らなかった」、「黒木瞳が作詞した校歌の話題で、作曲者の『ビリー山口』って誰やねん?とググったら上條恒彦だった。すげ~な」と反響があるなか、「1期生として黒木瞳さんに皆で校歌歌ってビデオテープ贈ったけど 覚えてるかなぁ?」という声も見受けられた。
画像2、3枚目は『【公式】KBC九州朝日放送 2019年12月2日付Twitter「午後6時30分「羽鳥×宮本 #福岡好いとぉ」12月号最後のゲストは #黒木瞳 さん」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)