この日、2週間ぶりの放送となった同番組で初めて志村けんさんについて言及したビートたけし。志村さんがメンバーだったザ・ドリフターズの冠番組『8時だョ!全員集合』は1973年4月に50%超の最高視聴率を叩き出したほどの国民的なお笑い番組だったが、1981年5月からスタートしたビートたけしや明石家さんまらが出演していた裏番組『オレたちひょうきん族』の台頭により、視聴率に苦戦を強いられるようになる。作り込まれたコントを公開形式の生放送で行うことの多かった『全員集合』は、漫才ブームで人気者になった勢いのある芸人らがアドリブで笑いを取る『ひょうきん族』に視聴率で上回ることができなくなり、1985年9月に16年の歴史に幕を閉じることとなったのだ。
その後、志村さんとたけしは『加ト・けん・たけしの世紀末スペシャル!!』(1998年)や『たけし☆志村 史上最強の爆笑スペシャル!!』(2005年)で共演し、たけし軍団やダチョウ倶楽部と一緒にコントを披露している。しかしたけしは当時を振り返り「お互いボケ、ツッコミやるから、なかなか噛み合わなかった」と言い、「やっぱり(志村さんは)桑マンやダチョウ倶楽部とかじゃないと、ダメなんだよな」と懐かしんでいた。志村さんの津軽三味線とたけしのタップダンスでの共演はいい思い出だった―と最近も動画を見返したそうだ。
最後までコント一筋でお笑いを突き詰めた志村さんに対し、「なかなかね、できないですよ」と心からの敬意を示すたけし。だからこそ新型コロナウイルスによる肺炎での急死を悔しく思い、相当なショックを受けたようだ。志村さんが亡くなってから「ちょっとねぇ…鬱になっちゃって、ノイローゼになっちゃって」と塞ぎ込んだこと、「俺はこれからどんな人生を歩むんだろうか」と悲観的な考えにも及んだことを明かした。だが今は少し時間が経ち「やりたいと思ったことを、一生懸命にやるだけ」、「それでダメだったらしょうがない」と冷静に考えることができるようになったという。
司会の安住紳一郎アナウンサーはこれまでよりかなり離れた距離に座り、たけしの話にじっと耳を傾けていた。そして「頼りないですけど、私たちもいますので…頼ってください」と最後に声をかけると、たけしは少し驚いた後、照れたように笑っていた。
この場面に、ネット上では「安住さん、見ていてすごく嬉しかったし、温かくなりました」「安住さんありがとうございます。たけしさんには、視聴者の私達もいます。たけしさんの思いは、天国の志村さんに届いてます」「安住アナに泣けた。たけし、その言葉に嬉しそうだった」「年齢が高くなると、同年代や年下の友人の死が大きなダメージになることがある。安住アナが間髪入れずに声をかけたの、胸打たれた」「安住アナウンサー!! ありがとう!!! たけしさんを支えてください」と安住アナのたけしを思いやる言葉に感動したという声が多く見受けられた。
(TechinsightJapan編集部 みやび)