ロックミュージシャンの忌野清志郎さんが2009年に亡くなってから11年、命日の5月2日に『忌野清志郎名言集「使ってはいけない言葉」』が発売された。RCサクセションをはじめバンドやソロ活動により数々の名曲を残し、社会の矛盾を訴えるナンバーも批判を恐れずに歌った“ザ・キング・オブ・ロック”としての人気は今も健在だ。
Twitter上では忌野清志郎さんの命日に関するつぶやきとともに、先日亡くなったコメディアン・志村けんさんを偲ぶ声も見受けられた。

2006年7月に喉頭がんで入院することを発表して活動休止に入った忌野清志郎さん。翌年から活動を再開して2008年2月10日に日本武道館で『忌野清志郎 完全復活祭』を開催した。しかし同年7月にがんの転移が分かり再び活動を休止。通院による治療を続けながら少しずつ活動を続けていたが、2009年2月にFM802のキャンペーンソング『Oh! RADIO』を書き上げた後に体調が悪化。入院して闘病しながらイラストを描くなどできる活動を続けるも、5月1日に容体が急変して2日の午前0時51分に58歳で亡くなった。


5月9日に青山葬儀所でロック葬『忌野清志郎 AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW』が行われるとおよそ4万3000人が弔問して見送り、ロックンロールが流れる“ザ・キング・オブ・ロック”らしいものだった。

一方で日本を代表するコメディアンだった志村けんさんは今年の3月23日に新型コロナウイルスの陽性が判明、肺炎が悪化して3月29日午後11時10分に70歳で亡くなった。

新型コロナウイルスの感染リスクがあるため親族も面会できず、火葬された遺骨を受け取ったお兄さんが報道陣にコメントした姿が記憶に新しい。志村けんさんも日本中を笑いに包んで元気を与える偉大な功績を残したのに、ウイルスのせいで寂しいお別れとなったことが悔やまれる。

志村けんさんの訃報が流れて以降、Twitter上では「清志郎が旅立った時も何処か不安な気持ちになりましたが、志村けんも同様に大きな不安にかられます。純度の高い人って、やっぱり凄い。
ご冥福を祈ります」、「柳ジョージも忌野清志郎も志村けんもみんな逝ってしまった…」、「清志郎もいない。(遠藤)ミチロウもくたばった。志村けんも昇天した。風穴を開けて道を示せる表現者が消えてゆく。時代は完全に変わりゆく…」、「忌野清志郎も志村けんもいないこれからを生きなきゃいけないんだなぁ…」、「清志郎は、自分の音楽を信じていた。志村けんも清志郎も、自分が信じた仕事で成功するということは、何よりも人格の陶冶になる。
実例だね。仕事は大事だ」といったつぶやきが目立つようになった。

そして5月2日にも「忌野清志郎と志村けんはいつまでも死んだ気がしないままこれからも過ごしていくように思う」、「偉大な人は老いて醜態さらすより売れてるうちに亡くなった方がいい的な風潮嫌だよね。志村けんはまだ生きてて欲しいし、hideや忌野清志郎、マイケルジャクソン、ミッチラッカー、スティーブジョブズもまだ生きてて欲しかった…」という声が見受けられた。

ちなみに楽器を使った音ネタ専門のお笑いグループ・ポカスカジャンの大久保ノブオは5月2日、Twitterに若かりし頃の忌野清志郎さんと撮った記念写真を投稿して「STAY HOME STAY 清志郎 今日は貴方といますね」と追悼していた。

画像1枚目は『大久保ノブオ(ポカスカジャン) 2020年5月2日付Twitter「STAY HOME STAY 清志郎」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)