読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その30

読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その30

幸田文「雨」(1956年)

幸田露伴のご息女、幸田文(1904-1990)さんです。

全く個人的な事情ですが、私は若い頃に幸田文さんの著作を何冊か読んで、独特の和風にねちっこい文章が体質的にダメなことが分かりました。上品な出汁で煮込みすぎた「おでんの練り物」の様で、言い換えれば、読み通すのが苦痛なのです。ワガママですみません。

余談ですが、最も苦手なのは松本清張さん。文章の息継ぎがズレていて読んでいると息苦しくなってしまうのです。幸いなことに『読鉄全書』に松本清張さんは収録されていません。

「雨」は昭和31年のクレジットがありますから、それ以前の12月、何度か風邪に罹患しながらも無理をして体調が思わしくなかった幸田文さんが「身体を劬(いたは)る」ために、雨の東海道本線で東京から熱海の温泉宿に向かう道中を書いたものです。

身体が冷えて体調の思わしくない幸田さんが列車の中で漸く温もりましたが、熱海は遠くありません。熱海に向かう客車(おそらく)の中で、車窓の蜜柑畑、乗り合わせた乗客の子供たちが駅売りで買った蜜柑を食べるシーンがあります。

この果物特有の清々しい匂ひがきた。本書 p.453

読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その30

紅茶に浸したマドレーヌが20世紀の世界ブンガクを激変させた様に、この蜜柑の香りが幸田さんに四半世紀前の出産の記憶を蘇らせるのです。

正しく数へれば二十七年の古い以前に経験したお産なのだった。子どもの誕生日は毎年くりかへして祝ふけれど、子の誕生日をお産の日としておもつたことなどなくなつてゐる。殆どおもひださないことなのだが、かう焦点をきめて思へば、些細なはしばしまで忘れてはゐない。本書 p.454


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