・処刑の最期
そして、男女両方の縄をほどき、生き残った全員を小屋から出すと、フラフラと崖から飛び降りてしまうのです。飛び降りず、村の方に下りてきた男女は、再度捕まり牢屋に入れられ、処刑人数が集まってから、もう一度同じことが行われるそうです。小屋の中には、セックスのしすぎで枯れたように死んだ男女の死体と、食べられてしまい、骨の見えた血まみれの死体が残っているという状態です。そして、崖の下には、何人かの全裸の男女の死体があるのです。
■「快楽処刑」の起源
これらの刑罰は、昔ヨーロッパで流行していた「阿片窟」といわれる「喫煙所」の奥の「仕置き部屋」で行われていたリンチと同じで、ヨーロッパのマフィアのリンチ方法です。
マフィアは、売春婦やボスの情婦が裏切ったりした場合に、普通に殺すのはつまらないので、阿片窟の奥に連れてき、女性を閉じ込めて阿片を大量に吸わせ、そのまま地下牢につなげて最下層の売春婦にしてしまったといわれています。そのような最下層の売春婦は、最後には、もちろん殺されてしまうのですが、その文化が植民地の支配者を通じて東南アジアに入ります。そしてそのようなマイナスの文化が、いつの間にか東南アジアのマフィアの間で流行するようになったのです。
ヨーロッパの一部では、このマフィアの撮影したカメラの動画を見ることができるようですが、私は見ていません。見た人の間では、有名な話になっています。
■植民地時代の東南アジア