
2020年の東京でオリンピックが開催されます。それに伴い、街角のあちこちで、旧来の場所が大きく様変わりしてゆく姿を見ることができます。
昨年、改装工事を終えた銀座の歌舞伎座もその一つです。巨大なビルが建ち並ぶ町並みに、突如現れる瓦屋根の風情ある建物にびっくり方もいるかもしれません。
それに、明治大正以降の繁華街銀座に古典芸能の歌舞伎ってちょっと違和感がありませんか? 実はその昔、浅草こそが歌舞伎のメッカだったのですが、銀座に移るまでにも、歌舞伎は時代に翻弄された過去がありました。その一端を紐解いてみましょう。
■エロあり、萌えあり、おもしろ歌舞伎
歌舞伎のはじまりは、1600年代のはじめ、女性の出雲の阿国が、京都の四条河原で踊った「かぶき踊り」だとされています。後にこの踊りは、遊女に踊らせる「遊女歌舞伎」などに。ところが、この「遊女歌舞伎」は、1629年に幕府に禁令を出されてしまいます。遊女といえば、今で言えば性風俗関係者のようなもの。相当エロチックなショーだったので、禁止されるのは当然だったのかもしれません。
ですが、この禁止令を受け、女性がダメならば、「男性で」とばかりに、「若衆歌舞伎」が生み出されました。またこれが、色子(いろこ)といわれる美少年による歌舞伎で、女子たちだけでなく、男色に目覚めたオジサマたちにも大受け。ですが結局、これも1652年に禁止されてしまいました。
このように、さまざまな「○○歌舞伎」があったようですが、規制につぐ規制によって最終的に残ったのが、今の歌舞伎のスタイルです。萌えやエロを売りにするのではなく、重厚な物語と演技を重視させたものが生き残ったのでした。