サイババは9.11を予言していた! 公表されない「サイババの予言文書」

サイババは9.11を予言していた! 公表されない「サイババの予言文書」

 2011年4月、インドのサイババが亡くなった。今にして思えば、彼ほど毀誉褒貶の多い宗教指導者も珍しかったと言える。ところで、そのサイババが実は2001年9月11日に起きた同時多発テロを予言していたかもしれないと言ったら、みなさんは驚かれるであろうか。といっても、ソースはあくまで私のプライベートな体験である。しかも、録音やビデオなどの機械的な記録もない。つまり、客観的な証拠が何もないわけで、さすがにこの状態で信用してくれと強弁するのは無理がある。よって、私にできることは、あくまで経験したことを淡々と話すだけだ。ありのままの話を信じるか信じないかは読者のご自由だ。私としては「話に偽りはない」と誓う以上のことはできない。

【その他の画像と動画はこちらから→http://tocana.jp/2015/05/post_6401.html】

■9.11を予言していた!?

 さて、予言の話である。それはサイババ・ツアーの後半でのことだった。午後のダルシャンのあと、夕食の前だったか、後だったかは今となっては定かではないが、私は何気なしにアーシュラムの広場に向かった。そこは公立学校の運動場ほどの広さで、夕焼けの下、暇をもてあましているらしい西洋人を中心にして、人々がお喋りに興じたり、輪になってバジャンを唱和したりしていた。中にはギターを持って歌っているヒッピー風の男もいた。

 私は人々の中に十数名くらいの同郷らしきグループがいるのを発見し、興味をもって近づいた。日本語が聴こえてきた。やはり日本人の集団だった。私は誰かに話しかけてみようと思った。すると、ほぼ時を同じくして、50代とおぼしき紳士風の男性がグループの前に現れた。彼には見覚えがあった。バンガロール空港だったと思うが、ふいに現れて両手を合わせ、「こんにちわ」と私に挨拶してきた人だった。上半身パジャマクルタ姿のうえ、教団のマフラーまでしていて、すでに信者モードである。その場で少し立ち話したところによると、同じ日本人を見かけたので声を掛けたということだった。

 仮にA氏としておこう。彼は片手に文書を持っていた。そして「みなさん」と、グループに向かって呼びかけた。すると、彼を中心にした輪が自然と形成された。A氏がもともとそのグループのリーダーだったのか、いちメンバーなのか、あるいはたまたま日本人の一団を見つけて近づいたのかは、今もって分からない。いずれにせよ、誰かに話しかけようと思った瞬間、私はその年配の紳士に機先を制される格好になった。そして意図せざることに、まるで元からメンバーであるかのように、図々しくその内輪の会合に加わることになってしまったのである。

 A氏がとある文書を掲げた。そして、「新しい世紀(もしくは千年紀)を迎えたのを機にババ様が近い将来に人類に起きる出来事を予言された」という意味のことを語り始めた。

「これはババ様の側近の方から回ってきた情報だから、ババ様ご本人の予言である確度は非常に高い」

 A氏が断言した。たちまち、場の空気が期待と緊張の入り混じったものへと一変した。私は胸が高鳴るのを感じた。思いも寄らない形で「サイババ予言」に接する機会が得られたのだ。しかも、まったくの偶然に。これを神の恩寵といわずして何と呼ぼうか。

 A氏がその情報をどうやって入手したのかは定かではないが、おそらく組織の上層部に何らかのコネがあるのだろう。その英語の原文を彼が日本語に訳して、わざわざこの場で発表してくれるということだった。A氏が文書を読み上げ始めた。私はまったくの部外者であるにもかかわらず、さもメンバー然とした表情で、それを拝聴した。

【サイババの予言】

・世界は統一される

 まずは喜ばしい話題からだった。それは「世界の統一は一般に想像されているよりもはるかに早い」という内容だった。たしか「数十年で」という具体的な数値が出てきたような気がする。しかも、話をうかがう限り、それは超国家的な独裁や政治的な制度が主導するものではなく、人々が互いの違いを乗り越えて同胞と見なすようになるといった、意識や精神面が先行する形で成される意味での"統一"であるらしかった。

 この、あまりに理想的すぎる予言に対して、当時の私は今ひとつピントが合わなかった。しかし、この15年間におけるインターネットとグローバル経済の急速な進展をリアルタイムで目撃してきた現代人の一人として、今ではほとんど納得することができる。わずかな期間で、情報と経済の面で世界がフラットになった。今や双方向どころか、大衆が大衆に向けて自由に情報を発信し自在にコミュニケートできるようになった。経済のグローバル化は先進国の中間層に打撃を与えたが、一方でその何倍もの途上国の貧困層が中間層入りする手助けをし、世界的に見れば富の平準化の役割を果たした。今や世界中のライフスタイルが驚くほど同質化している。英語圏では国境を越えて住み易いと思った都市へと自由に移住する人たちも急増中だ。ちょうど、それまで藩が"クニ"だった日本人が、幕末から明治にかけて一つの国民という意識を持つように至ったように、世界中の人々が同じ人類として目覚める日も、案外近いのかもしれない。

・航空機を使ったテロの急増「アメリカ人は飛行機に乗るときに気をつけろ」

 ただ、あらゆる喜ばしい成果がそうであるように、そこへ至るまでには困難が付きまとうものらしい。A氏が読み上げるところによると、そのプロセスにおいてあらゆる問題や対立が噴出するが、とりわけテロの急増で世界中が騒然とするという。

 そう、たしかに「テロ」と言ったのだ。しかし、当時の私は「え?」と固まった。というのも「予言」というからには、世界大戦とか、どこそこで大災害が起きるといった、人類的なスケールの話を期待していたからだ。「テロ」というと、当時は個人や少人数グループによる「事件」というイメージで、なんでその程度のことをわざわざ予言する必要があるのかと訝った。そして、極めつけはA氏が次のように続けたことだ。

「航空機を使ったテロが世界を震撼させることになるだろう。とりわけ、アメリカ人は飛行機に乗る時には十分に気をつけるように...」

 前後が違うかもしれないが、「航空機」とか「アメリカ人」といった具体的な単語の出現に関して私の記憶に間違いはない。なぜなら、まさにその箇所で私は失望したからだ。

(アメリカ人は飛行機に乗る時に気をつけろ? はあ? なんだ、それ?)

 ナンセンスだ、と私は呆れた。正直、失笑ものの内容だった。しかも、そう思ったのは私だけではないらしく、周囲の人からも興味が失われていくのを感じた。

 あとはよく聞いていなかった。しばらくしてA氏は話を終えた。総じて、予言というわりには、どうでもいいような、馬鹿馬鹿しい内容であるように思われた。

 ただ、念のためである。私は独演会を終えたA氏に挨拶して、その紙のコピーをくれるように頼んだ。しかし、彼は、今持ち合わせがないということで、住所を教えてくれたら後で送りましょうと提案してくれた。そこで私は名刺を渡して、よろしくと頼んだ。

 だが、A氏はそれっきり忘れてしまったらしい。帰国後もその文書のコピーが郵送されることはついぞなかった。私も「まあいいか」と肩をすくめると、こんな"マイナーでつまらない"予言のことなんか、すぐに忘れてしまった。

 言うまでもなく、この時の記憶は、2001年9月の同時多発テロ事件が起きるまで、眠り続けることになる。しかも、この予言を衝撃的に思い出して以降も、私は他人に話すことは控えた。どうせ誰も信じないだろうし、話したところで自分にマイナスにしかならないと思ったからである。つまり、公開するのは、今回が始めてなのだ。

 この予言を聴いた人は、私を含めて十数名はいるはずだ。とりわけA氏には、是非とも名乗り出て、予言の全文を公表していただきたいと思うのである。

■サイババは詐欺師だったのか?

 サイババは詐欺師ではないかと疑う人も多い。とくに"物質化"については、映像を見る限り、実に怪しい動きをしていると言わざるをえない。よって、疑われても仕方がないし、それは個人の自由だ。実際、何かを盲目的に信じるのはよくないことである。

 しかしながら、「アガスティアの葉」とか「物質化現象」といった個別の事例にばかり拘泥していては、サイババの本質に迫れないのもまた事実である。

 サイババを語る際に外してはならない二つの顔がある。

 ひとつは「歌手としてのサイババ」だ。彼は事あるごとに、みんなで一心不乱にバジャンを唱和することを推奨している。それによって心が浄化されるばかりでなく、環境もまた浄化されるのだという。また、それが霊性修行でもあり、神へと近づく方法でもあるという。しかも、宗教家としてユニークなのは、彼自身が率先して歌うことだ。サイババは比類なき歌い手だと思う。メロディアスな声質を持って生まれた上、いつも情熱を込めて歌う。私は音楽というジャンルに疎いのだが、彼の歌を聞くと、それがプロの歌唱力に拠ることくらいはすぐに分かる。彼はたくさんのCDを出しているが、それは宗教家の趣味・一芸の類いではなく、すべて本物の歌手としてのアルバムだ。歌詞は常にクリシュナ、ラーマ、ゴビンダ、ギリバラといった神々や聖者を称えるもので、伝統的でありながら他方で大衆的かつ現代音楽的でもある。もしかして作詞・作曲まで手掛けているとしたら、彼は驚くほど才能に恵まれた歌手と言わざるをえない。

 もうひとつは「説法師としてのサイババ」だ。彼はこれまでヒンズー教の伝統的な教義と平易な道徳が組み合わさった講話や演説を数限りなく行ってきた。日本ではそれほどでもないが、テレビ伝道師が活躍するアメリカのように、演説による宣教は世界的には宗教家として当たり前の行為とされる。特筆すべきはその内容と弁舌能力なのだ。

 講話集としてまとめられたもの、あるいは同様の内容を反映した著作などを読む限り、極めて格調高い、というか、私が評価すること自体がおこがましい。新約聖書、クルアーン、ダンマパダ、スッタニパータ、バガヴァッド・ギーター、論語、墨子、老子...といった古今東西の聖典、さらには新興宗教の教義やスピリチュアルものの教えまで、ある程度読んだ上で言うと、サイババのそれは冠絶している。深遠な英知を含み、何度読んでも新鮮な発見がある。少なくとも、私には全知を動員してもこのレベルのものを書くことはできないし、人々を前にしてこのような気高い講話をすることもできない。

 むろん、「別人が教義を作った」「スピーチライターがいる」と想像することは、私もやってみた。だが、サイババが大群衆を前にして、原稿やメモの類いをまったく見ずに、立て板に水のごとく、よどみなく話し続ける姿を見ると、やはり自分の中にある考えを自分の言葉で話しているとしか思えないのである。実際、アーシュラムに滞在した際、えんえんと一時間以上にもわたって精力的に演説を続ける彼を見たことがある。

 以上、この「二つの顔」について、私の知る範囲では、あれほどのサイババブームにも関わらず、一般の話題になることはほとんどなかった。これはおかしな話だ。なぜなら、サイババがやっていることの大半はこの「歌」と「説法」だからである。だからサイババについて評価するならば、この二つの分野をメインにしないと公正ではない。そして、実際そうしたならば、このレベルの宗教家が世界にどれほどいるだろうか、という現実に気づくはずだ。

 とにもかくにも、2011年、サイババは逝った。彼は半世紀以上にわたって地道に教えを説き、社会に貢献してきた。そして膨大な「歌」と「説法」を残した。それこそが、人類に対する彼の最大の遺産にして、本当の意味での「奇跡」ではないだろうか。

(文=山田高明)

※画像は「YouTube」より

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