
――国外の"裏社会"取材活動を続けるアンダーグラウンドジャーナリストが語る「グローバル闇経済レポート」
【金がすべて。悲しすぎる価値観がはびこるカンボジアの闇】
「カンボジアの富裕層が爆発的に増えている」という報道を最近よく見かける。確かに富裕層は多い。しかし、それ以上に貧困にあえぐ者たちが多いのが実情だ。そして、その彼らの暮らしぶりはおそらく読者の想像をはるかに超えているだろう。
首相であるフン・センの30年にも及ぶ独裁政治中に、汚職がはびこり、警察は腐敗、街の治安は最低レベルだ。今も昔も富裕層の多数は政府関係者で、貧困層は1日3ドル以下の生活が続いており、"貧困層の人間は金持ちのペットの命よりも軽い"とさえいわれる。そういった勝ち負けの区別がはっきりしている文化が長く続いたことで、この国は「金さえあればなんでもできる国」になってしまった。
私がカンボジアに住んだ上で感じた、本当の姿を伝えていきたいと思う。
※その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2015/12/post_8221.html】
■交通事故にあったらサヨウナラ
つい最近、街を歩いていると背後から大きな音がした。振り向いたところ、そこには大量の血を流す人が地面に倒れ、その近くにはボンネットがへこみ、明らかにぶつかったとみられる車があった。人身事故だ。そして、その車はゆっくりとUターンをし、停車。私は、ただただ呆然としているだけだったのだが、次の瞬間...、
ブンッ!!!
と、車が横になっている被害者の上を通過し、逃走した。
後から知ったことだが、これは後々トラブルにならないように、被害者を殺害し証拠隠滅を図っているのだという。車を運転するカンボジア人の約半数がこのような行動をとるそうだ。
その後現場に救急車は、来た。しかし、被害者の身元や金を持っているかいないかなどがわからない場合は、放置してどこかへと消えてしまう。ちなみに交通事故の死亡率は日本が0.5%に対して、カンボジアは50%を超えるという。スマートフォンで事故の現場を撮影していた目撃者はいた。だが、"いた"だけだった。
■治安の悪さは観光客にまで影響を
治安のよくないカンボジアのプノンペンでは、旅行客への恐喝が流行っている。たとえば、これは当地ではメジャーな乗り物である三輪タクシー・トゥクトゥクでの出来事だ。
カンボジアを訪れればトゥクトゥクに乗ることもあるだろう。ドライバーたちは、みな陽気だ。彼らと接しているとあまり言葉が通じなくとも、思わず笑いがこぼれる。私たちを歓待してくれている、そう思ってしまってもおかしくはない。そして、目的地付近へと近づくと、ドライバーはおもむろになにかしらの葉っぱが入った袋を渡し、金銭を要求してくることがある。袋の中身はマリファナだ。知ってかしらでか、はたまた外国にいるため高揚しているためだろうか、興味本位で買ってしまう人も中にはいる。
ここで買わなければどうということはないが、もし買ってしまうとどうなるか。ドライバー、もしくは目的地周辺に居た共犯者から、「マリファナを所持していることを警察に話すぞ」と、脅されるのだ。薬物はこの国では禁止されている。ほとんどの旅行客は恐喝者たちの脅しに屈し、口止め料を払ってしまう。
では、このようなトラブルが発生した場合どうすればいいのか。簡単な方法がひとつだけある。脅迫者たちに啖呵を切ればいい。
「確かに問題だ。だけど俺は金を持っている。お前がなにかしようとしたら全力で潰してやるからな。警察はどちらの味方をするのかな? そもそも警察は君の話を聞くのか?」
脅迫者たちはスゴスゴと引き下がるだろう。この国では金を持つものが正義だ。貧困層よりも金を持つとみられる観光客の方が優遇される。旅行の際はくれぐれも気をつけていただきたい。
■金は命より価値を持つ...!
私は、カンボジアで金の力を使って生きる日本人と接することが多かった。この地に長く住む日本人たちの中には、培ってきた価値観がガラッと変わるものもいる。
「人を轢いたことがある」と笑いながら話す男性もそのひとりだ。
「混沌とした所では、人身事故はもうしょうがないことだよ。むしろ、あまりにちんたら走ったら普通にぶつけちゃいますし。ま、何かあればお金で解決できますからね」
と明るく話す彼の車は傷跡だらけだ。
また彼はカンボジアでは殺人までもが日常的に行われているという。
「だいたい、金を持っている政府系の奴らだって、ちょっと気にくわないことがあればすぐ人を殺しているじゃない。最近だって、万引き犯が集団で暴行されて殺されるのを見たよ。窃盗を犯すやつは殺してもいいというのがカンボジア人のしきたりだしね。こんなのは日常ですよ。それなりの金を渡せば、人を銃で殺すこともできるし、戦車に乗ることもできる」
彼は、もしなにかしらトラブルが発生した場合も冷静になり、金を使いどう解決するかを考える事が大切だと、この地ならではの生き方を説く。
■希望と腐敗が表裏一体
カンボジアには、日本の北九州市下水道局が整備したため、水道水が飲めるエリアもある。また、食糧自給率は120%を越えている。カンボジアに必要なのは食糧や物資でもない、現金なのだ。しかし、あらゆる国が援助をしていても、この腐敗しきった国では官僚のポケットマネーにされてしまう。また、カンボジア支援事業を行うNPOの一部では、募金活動の資金を一切渡さず、私腹を肥やす団体もあるという。飯が食えないほどの貧乏ではないが、最悪の環境。それを、改善するためのすべての機能は腐敗している。
この絶望的な状況から希望を模索していくために、我々ができることはなんだろうか? 私は長くこの地に留まっているが、その手段を未だ見つけることができていない。願うならば、笑いながら人の生死を話す人間になる前に、何かしらの手段を講じたい。
(文=東海林裕士/ジャーナリスト)
※イメージ画像:「Thinkstock」より