「役所に1泊500円の宿を探せと言われ…」7年間山谷を撮り続けた写真家が出会った、ドヤ街に倒れていた男との会話

「役所に1泊500円の宿を探せと言われ…」7年間山谷を撮り続けた写真家が出会った、ドヤ街に倒れていた男との会話
拡大する(全1枚)

■そこは、パラダイス底辺

 山谷、僅か約1.65平方キロメートル程度の小さな区域に簡易宿泊所が密集する、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町に並んで日本三大ドヤ街のひとつだ。ドヤとは宿(ヤド)とも呼べぬほど祖末なものであるという差別的な呼称であり、最近では簡易宿泊所、略してカンシュクなどと言うこともある。かつて日雇い労働者の街として知られた山谷も、時代の変化や高齢化によって、福祉の街へと変わり、今や「看護の街」とすら言われるようになった。私は写真家として、2006年から7年間、山谷で帳場の仕事をしながら移り行く山谷のあり様を見つめてきた。もちろんそこには厳しい現実もあるが、世間の人びとが抱く山谷へのイメージとは違う一面はあまり知られることはない。それは60年代に始まった山谷闘争という暗い歴史のイメージが強過ぎるからであろう。山谷にはかつての残り香と、時代の波に飲み込まれながらも右往左往する人たちのドラマがある。それは、見方を変えればパラダイスでさえあるのだ。それは今、撮影している築地市場にも共通して言えることだと感じている。

【その他の写真はコチラ→http://tocana.jp/2016/01/post_8060.html】

 さて、今回の話は2012年の1月5日のこと。都心と違ってまだ正月気分で開いていない店も多い山谷。大晦日にかけて結構な雪が降り、街も相当冷え込んでいた。山谷の最寄り駅は南千住であるが、隣の三ノ輪まで歩いてもそう遠くはない。「アラーキー」こと写真家・荒木経惟もこの街の生まれだ。下町情緒あふれる商店街で賑わう三ノ輪は、都営荒川線も通っており商店街は結構な賑わいを見せている。山谷のドヤに住んでいる人も三ノ輪まで買い物に行くことは多々あるので、大きくいえば「山谷文化圏」といえるかもしれない。

■道に倒れているおじさん

 その日はなんとなく商店街に寄ってから帰ろうと、山谷から三ノ輪の方へ歩いていると、ちょうど中間あたりで道の脇におじさんが倒れているのが目に入った。路地からマンションのちょっとした隙間に頭をつっこんだ形で、倒れているのか、寝ているのか定かではない。ちょっと小汚い服を見るに、山谷で酔っ払ったおじさんが寝ているのか。

 私は、山谷を撮影している中で、街で暮らす人々にそうやたらと手を差し伸べないことにしている。事態が急迫していれば別だが、自力でやれる限界までは介入しない、非情かもしれないがある一定の距離というものは必要だと考えている。そんなわけで、普段なら声もかけずに通り過ぎてしまうのだが、その時はなんとなく違和感があり、声をかけてみた。

 話しかけられたことに不快感を示しているわけではなさそうだが、おじさんは余程疲労がたまっていたのか、「あー、うー」と言葉にならぬ声で何かを話している。

 何回か聞いていると、どうやら山谷はどっちかと聞いていることがわかった。その風体ゆえ山谷から来たのかと思ってしまったが、どうやら、この人物は北区の人で生活保護の申請をしたところ、山谷の方で安宿を見つけてこいと言われたらしく、池袋の方から何日もかけて歩いて来たのだという。

 とはいえ正月では福祉センターもやっていない。雪も降っていたのに一体いつから歩いてきたのかと尋ねると、「出発したのはたしか25日ですわ。初めはあんまり寒いもんだからサウナとかに泊まったりしてたんですけど、すぐに金もなくなってしまって……。雪も降るし、駅で寝たりしながらやっとここまで来たんす」と、か細い声で言う。

 風がないとこで、風がないとこで、と何度も言っていた。

■越境してきたおじさん

 私が「山谷へ案内しますから、とりあえず立ち上がってください」と言うと、おじさんは左足を怪我しているのか、びっこを引いている。

 池袋から足の痛みを我慢して、ある時はビルの隙間で、またある時は公園で、野宿をしながら歩いてきたのだとか。もう体力の限界なのか、ひとりでは立つのもやっと。フラフラしてどうしようもないので肩をかす。

 とりあえず店も閉まっているので、近くのコンビニで缶コーヒーとおにぎりを買い、手渡した。「いやぁ、甘ぁーですわ。やっぱりうまいですね。一週間ぶりだす」と、本当に美味しそうに口にした。

 しかしなんでまたこんな年始早々、池袋から山谷にやって来たのか聞くと、よくわからないが、役所の方でも、山谷なら安宿があるといった程度に思っていたようだ。

 生活保護の受給費として出る1日の宿泊費が台東区の場合は上限2,200円。他区よりも400円ほど高いため、1泊1,800円のドヤに泊まれば、お金が浮くというわけだ。

 このことを「越境」と呼ぶこともある。ただこのおじさんのように、「越境」をなかば強いられるケースというのは、区内にちょうどいい物件がなかったのか、年の瀬で役所の人も体よくあしらったのかわからないが、いずれにせよあまり聞かない話ではあった。

■いざ山谷へ

 とりあえずふたりで山谷を目指すことになったのだが、おじさんが足を痛めているため、通常歩いて10分ほどで着くところが1時間もかかってようやく山谷地域に着いた。

 歩きつつ、休みつつ、おじさんはあまり必要以上に何も話さない。肩をかし、まるで二人三脚の様にのっそりのっそり歩いて行った。山谷では、特例的に宿の住所を区に申請し、そこを一時期的な仮の住まいとするわけだが、色々とお役所的な書類は最低限必要なため、おじさんはポケットにビニールに入れて大切そうにしまっている。野宿のせいでぼろぼろになっているが、これがなくては話が始まらない。

■役所からのお達し「1泊500円以内の宿を見つけろ」

 山谷に着き、さっそく宿探しを始める。やはりどこか閉鎖的な街ゆえ、帳場さん(管理人さん)と顔見知りかどうかというのは大きい。何軒か回っても「ちょっとねえ。それに役所だってまだやってないでしょ」と、いざこざだけはゴメンという宿側の返事が続くのだ。

 そうしているうちに、やたらと料金のことを気にしているおじさんの様子が気になった。話を聞くととんでもない返事が帰ってきた。

「役所の人から、一泊500円以内で見つけてこいって言われているんすよ」

 石原慎太郎がそんな発言をして問題になったが、いくらドヤ街と呼ばれているからって、さすがに今の御時世そんな値段で泊まれるところはない。1畳部屋で1,000円の宿は知っているが、さすがに話が無茶苦茶だ。どうも役所の人は、山谷ならそれくらいでなんとかなる、と考えているようだ。いくらなんでも現実を知らなさすぎる。

 あまりに現実離れした話なので、おじさんに自分のiPhoneを渡して、役所の人に電話して掛け合うように言った。「これ電話なんですか?」と不思議そうに受け取るおじさんであったが、もともと押しの弱い性格なのか電話越しに「へえ、すいません。すいません」と繰り返している。

 話の内容はわからないが、らちがあきそうもないので山谷のことは自分のほうが詳しいからと電話を代わってもらい直接話しをしてみると、担当の方はやはり、山谷ならそれくらいで宿があると思っていたらしい。

 山谷の相場や時期的な話をして長いこと交渉すると、相手の方も納得したようで宿代をしっかり保証してくれることになった。声からするにどうにも若い人のようだった。山谷は世間からすれば時を止めた街のような存在なのかもしれない。時々感じることである。

 宿代の心配事がひとつ消え、また宿探しに。

「ただ、雨の降らないとこで寝たいんです」それがおじさんの切なる願い。

 何軒目かの宿で、女将さんが上記の事情を聞いて不憫に思ったのか、ちゃんと話を通してくれた。ちょうど部屋が空いていたので、その日から泊まれることになった。「ガスコンロはここだからね、それとゴミの分別はやってね。うちの部屋は引き戸で鍵はないんでほうきでも置いてつっかえにしてね」、という具合で一通り説明が終わるとそそくさと帳場に戻っていく。

 手慣れたものだ。この後は、付き添いながら、その足で今度は台東区区役所に行かねばならない。おじさんは無表情ながらほっとしたようだった。

 上野まで付いて行こうかと聞くと、「ひとりで行けます」とのことだったので、ここらが引き際かなと思い、バスの停留所まで見送り、今度様子を見に行くからと言って別れた。

 私が働いていた宿とすぐ近くだったものの、なんだか気が引けて結局おじさんの元を訪れることはなかった。まだあのドヤにいるのだろうか、まだ山谷にいるのだろうか、気になってもそこは触れないでおいた方がいいように思えた。今となっては、少しだけ後悔しているが…。
(写真・文 新納翔)

当時の記事を読む

TOCANAの記事をもっと見る

トピックス

今日の主要ニュース 国内の主要ニュース 海外の主要ニュース 芸能の主要ニュース スポーツの主要ニュース トレンドの主要ニュース おもしろの主要ニュース コラムの主要ニュース 特集・インタビューの主要ニュース

もっと読む

おもしろニュースランキング

おもしろランキングをもっと見る

コメントランキング

コメントランキングをもっと見る

このカテゴリーについて

世界のびっくり事件や仰天する出来事などついつい気になる情報をお届け中。

通知(Web Push)について

Web Pushは、エキサイトニュースを開いていない状態でも、事件事故などの速報ニュースや読まれている芸能トピックなど、関心の高い話題をお届けする機能です。 登録方法や通知を解除する方法はこちら。

お買いものリンク