ユダヤを激怒させて廃刊! 日本出版界最大のタブー「マルコポーロ事件」の真相を当時の編集長が語る! 花田紀凱・康芳夫対談

ユダヤを激怒させて廃刊! 日本出版界最大のタブー「マルコポーロ事件」の真相を当時の編集長が語る! 花田紀凱・康芳夫対談
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【元「週刊文春」編集長、月刊「WiLL」編集長の花田紀凱VS国際暗黒プロデューサー・康芳夫! 暴走老人対談企画】

 今回の対談にあたり、最も聞いておきたいテーマのひとつが、《世界最大のタブー》に花田紀凱が切り込んだ「マルコポーロ事件」であった。

 戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』の全権代理人として、出版界にも暗躍してきた康芳夫曰く“語り継ぐに値する”という『マルコポーロ』誌は、どのような経緯で廃刊に追い込まれていったのか、遂にその真相が明かされる――!

【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2016/04/post_9219.html】

康芳夫(以下、康)「今や花ちゃんは超タカ派のこの雑誌(『WILL』)の編集長だからな」

花田紀凱(以下、花田)「タカ派じゃないですよ、中道です。左から見れば真ん中が右に見えるってことです」

康「この雑誌は左、左翼を締め上げたり潰したりしてるけど、あんまり潰しちゃって敵がいなくなると、今度は商売ができなくなるんだろ」

花「そうなんですよ」

康「適当に生かしとかないとな(笑)、ま、この本もまた売れまくってるんだ」

花「いやいや、今の出版不況の中では頑張ってるって程度ですよ」

■「週刊文春」、リベラル右派を守りきれず?

康「『週刊文春』はこれから続いていくわけだけど、大問題を起こさないだろうね?」

花「あの会社はオーナーもいないし、いい会社なんですよ。社長も代々替わるわけですよ、編集で活躍した人がね。看板の雑誌は文藝春秋なんですよ、それが米びつで、書籍があっていくつか雑誌がある。でも文芸春秋の読者が高齢化して、部数も落ちてるわけ。だから何かで売らなきゃいけない。もちろん又吉(直樹)の『火花』なんてのが最近は売れましたけど、そういうのはいつ出るかわからないでしょ?」

康「まあ、“ハプニング”だな」

花「でも雑誌とか週刊誌は毎週出るでしょ? 売れればある程度の数字は予測できるわけ。だから『週刊文春』が『文藝春秋』とともに、あの会社を支えていかなきゃならない。今は月刊の『文藝春秋』も最近は厳しいから、『週刊文春』は特に頑張らなきゃいけないね」

康「文春の本誌(『文藝春秋』)自体が柱だったわけでしょ? それが売れなくなっちゃってもうどうしようもないところまできちゃった。『週刊文春』は花ちゃんの伝統を継いで調子がいい。本来“リベラル右派”の路線できたからね、やっぱり若い人たちにウケなくなってきた。だからライターを佐藤優と池上彰のコンビとかに切り替えているんだよ。従来は絶対に使わなかったであろう連中を使ってね、今は苦境に陥ってるんだ。屋台骨がぐらついちゃってるから難しいんだよ。花ちゃんだってユダヤ人問題がなければ当然まだ文藝春秋にいたんだろうけど、いったいどういう対策を講じただろうね」

■若者向けの雑誌『マルコポーロ』編集長時代

花「僕は結局『週刊文春』で編集長を6年やって部数は伸びたと。それで会社も“もう少し若向けの雑誌を作りたい”ということで『マルコポーロ』って雑誌をやったんですよ。その頃はソ連の崩壊とかもあって世界情勢も揺れてたからね。“若向けの国際情報誌”という触れ込みで作ったわけ。それで僕の前に創刊編集長と2代目編集長がいたんだけど、これが全然ダメで売れなかったんですよ。それで僕が『週刊文春』を6年もやったわけだから、さすがに“人事が停滞しちゃうんで変わらなきゃいけない”ってことで、『マルコ』の編集長になったの。その編集長を1年やったら、だいたい実売3万部だったのが、僕が辞める時には15万部でしたからね。それくらい売れてたのよ。だから僕が辞める時に社長に“部数は5倍になった”って言ったら、“バカヤロウ、経費も5倍になってんじゃねえか!”って言われたけどね(笑)」

康「あれは語り継がれる雑誌だったねえ」

花「表紙のビジュアルなんかも、今見ても素晴らしいですよ。僕の編集長の期間は6号か7号やって終わりでしたね。あれは神戸の震災があった年だから……1995年かな」

■ホロコースト否定で『マルコポーロ事件』勃発

 そして、前回も少し触れた『マルコポーロ事件』が起きるのである。

花「あれは新年号を作ってた時だったの。確か17日だったかな、それで神戸の震災(「阪神・淡路大震災」)が起きたから、“これは凄い特集になる”と思って、すぐに10人くらいのライターとか編集部のヤツを神戸に飛ばしたの。それが17日じゃなかったかな?(※1995年1月17日5時46分に発生) すぐに人を飛ばしたの。新年号の発売は24日だったんだけど、その途中に『マルコポーロ事件』が起きて、バタバタと廃刊になっちゃったんだよね。俺も解任されて」

 事件の直接の原因になったのは『マルコポーロ』1995年2月号に掲載された特集「戦後世界史最大のタブー ナチ『ガス室』はなかった」というナチス・ドイツが行なったとされるユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」の事実を否定する記事である。そこへアメリカのユダヤ人団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が反応し、広告掲載への圧力をかけた結果、『マルコポーロ』誌の廃刊に繋がったとされている、日本の出版史に残るスキャンダラスな事件である。

 事件は『マルコポーロ』誌の廃刊、花田編集長は解任、当時の文藝春秋社長、田中健五が辞任という形で終わった。

花「でも、今考えれば社長は辞めなくてよかったと思いますよ。あの事件は、日本の雑誌社が外国の組織から抗議を受けた初めての事件だったからあわてちゃったんだね」

康「そうそう、画期的な事件だった」

花「あれが日本の組織からのクレームだったらこっちも対応策はわかってるの。たとえば“誌面で反論を書いてくれ”と言うとかね、いろんな方法があるんです。だけど外国のああいう組織から言われたのは初めてだったからね。当時の社内会議では“もし全世界のユダヤ人の団体が日本大使館に石投げたらどうするんだ!?”なんて真剣に話し合ってたのよ。今考えればそんなことあり得ないんだけど、それがあり得ないっていうのはわからなかった。健五さんも最初は“辞めない”って言ってたんだけど、その1週間後に辞めちゃった。そうすると僕もさ、社長が辞めてるのに辞めないわけにはいかないでしょ(笑)」

――自主的に会社を辞められたんですか?

花「編集長は解任だけどね。会社を辞めたのはその1年後です」

康「さすがユダヤでね、徹底的に締め上げてきたわけだよ。強い力で広告主を締め上げてくるっていうのは、さすがだよね」

花「康さんね、でもそれは実際そこまでのことはなかったの。確かに、“広告出稿拒否がくるんじゃないか?”っていう話は会議の中では出てました。外国の企業だって日本の雑誌にたくさん広告出をしてますからね。そこから“クレームがくるんじゃないか”っていう話は出てたんです。ただ、実際にあったのは、三菱自動車の8ページにわたる広告、“初めてとれた”って広告部も非常に喜んでた大きな契約だったんだけど、そこが、“ちょっと様子を見させて”って代理店を通じて言ってきたことくらいなんです」

――実際に報道されているように、何個か広告が落ちたということはなかったんですね。

■ユダヤ組織が文藝春秋の社員に講義

花<「それはない。そういう話は出てたというだけですね。まあそう思うのも当然だよね。でも、そこまで露骨なことはなかったですよ。これも余談なんですけど、後に彼らと話もついてね、『サイモン・ウィーゼンタール・センター』(ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の記録保存など行う組織)の人々が4~5人でやって来て、ウチの会社にレクチャーしたんですよ。会社の一番大きな会議室でね、『ユダヤ問題』を講義しに来たの。文藝春秋はだいたい社員が300人くらいなんだけど、“最低100人は出なきゃいけない”っていう条件でね」

――ええ~っ! そんなことがあったんですね……。

花「俺は当事者だから行かなきゃいけない。行きたくもなかったんだけどしょうがねえってね。そうしたらまあ既に聞いたようなくだらないことばっかり言ってるわけ。だから2日目、3日目は出なかったの。でも西川とかは出てたんだけどね。それで、その時の会社(文藝春秋社)は、事前に“想定問答”を作っておいて、質問まで作って社員に質問させていたんですよ」

――それはひどい話ですね。

花「“全然質問がないのおかしいから、向こうに「質問は?」って言われたら君と君はこう言いなさい”っていうね。でもそんなことをジャーナリストがやるのはおかしいでしょう。僕は《文春ジャーナリズム》の迷走はその頃に始まったと思うんだよね。ちなみに、『マルコ』のナンバー2の西川は、2日目も3日目も会議に出てたわけなんだけど……」

康「今は文春のナンバー2だけどな(笑)」

花「でもその時は『マルコ』のナンバー2です(笑)。でもアイツは骨があるから、想定じゃない質問をしかかったの。そうしたら慌てて役員が寄ってたかって止めたらしいですね」

康「その頃から西川くんは頭角を現わしてたんだな。俺はそれ聞いて今日の彼が文春のナンバー2である一因かなと思ったねえ」

花「アイツはね、言いたいことははっきり言うんですよ。遠慮せずにね。そこは偉いですよね。みんな決められた質問しているんだからね」

――なんか、進駐軍の戦後教育みたいな話ですね……。

花「そうそう!」

康「だからね、これは徳川幕府に黒船が来たようなもんなんだよ」

花「そうなんですね、まあみんな経験がないから混乱してたんですよね。でも一番悔しかったのは、廃刊になったことですでにきていたいろんな原稿が使えなかったこと(苦笑)。あれは悔しかった……ほんとうに泣きましたよ。あんなにいい企画や原稿が…と思ってその時だけは泣いた。まあしょうがないね、社長も辞めちゃってるんだからね」

――混乱してたまま社長が責任とって、なんとかしたということですね。

■廃刊後、“窓際”に扱いになったが……

「簡単に言うとそうですね。でも俺もそこから1年、“戦後史企画室長”っていうどうでもいい肩書きにされてね」

――いわゆる“窓際”という扱いですね。

花「そう、完全に窓際だよ、だって今まで50人の部下いたのにさ、通路の脇の部屋でさ、もうひとりの女の子と2人しかいな部署なんだもん」

康「はっはっは」

花「まあしょうがないから1年間は文春の編集長時代と同じようにお金を使ってですね、戦後史企画室ですから戦後史にかこつければなんでもいいから、“ちょっと戦後史の資料探しにロスまで行ってきます”って外国に行ったりしてましたね。でも、結局僕は雑誌がやりたいから、いろいろ提案もしてたんですけどやらせてくれなかった。だから“もういいや”と思って辞めたんです」

康「花ちゃんの苦闘の時代だな」

花「いやあ、それはそれでおもしろかったですよ」

(文・写真=福田光睦)

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