マルコ・ポーロは実在していなかった!? 不整合すぎる『東方見聞録』の数々が暴露される

マルコ・ポーロは実在していなかった!? 不整合すぎる『東方見聞録』の数々が暴露される

 誰もが知る中世の大冒険家「マルコ・ポーロ」に“非実在説”が浮上している。コロンブスに先行すること200年前、中国まで辿り着いたといわれるロマン溢れる歴史上の偉人が架空の人物だとすれば驚くばかりだが……。

■マルコ・ポーロは中国大陸に行っていなかった?

 世界最大の動画配信サービス、Netflix (ネットフリックス) でオリジナルドラマ『マルコ・ポーロ』が2015年9月から配信されていて好評だ。今年7月からは“シーズン2”が放映され、元朝の皇帝フビライ=ハンとの関係が多く描かれていることもあり、マルコ・ポーロの中国大陸での実際の足跡がどんなものであったのか、あらためて脚光を浴びることになった。

 しかし皮肉なことに再燃したマルコ・ポーロ人気によって、“非実在説”が蒸し返されることになったのである。いったいどういうことなのか。

【その他の画像と動画はコチラ→http://tocana.jp/2016/11/post_11467.html】

 いったん復習から入ろう。1254年、ヴェネツィア共和国(現在のイタリア東北部)で商人の家のもとに生まれたマルコ・ポーロは、『東方見聞録』などによれば1271年、17歳の時、父や叔父などど共に東方への旅に出発したといわれている。陸路でトルキスタン、西域を通って元の都・大都に到着。そこで当時の元朝の世祖フビライ=ハンに重宝がられ、政務に招き入れられた。その後、1292年にイル=ハン国に嫁ぐ王女を送り届ける任務で泉州を出航するまでの17年間もの間、大都を中心に中国大陸内に滞在していたとされている。この旅の模様は後に『東方見聞録』(ルスティケロ・ダ・ピサ著)に綴られることになった。

 この間、1274年、1281年の2度に及ぶ日本のへの侵攻、いわゆる“元寇”の作戦立案にもマルコ・ポーロは関わっていたといわれているが、不正確な記述が多く年代記的につじつまが合わない点が目立つということだ。ナポリ大学の考古学者、ダニーレ・ペトレラ氏によれば、1274年の最初の元寇で日本海に大嵐が起きて元軍の艦隊が滅ぼされたことが記されているという。つまり1度目と2度目の日本侵攻が史実と逆になっているのである。

 また『東方見聞録』では元の帆船は5本マストであることが記されているのだが、日本の側の史料によれば元の海軍艦には3本マストの船体の記録しか残されていないという。

 さらに、木造船体の防水区画を作る際に使う松脂のことをモンゴル軍が“chunam”と呼んでいたことが記述からわかるのだが、実はこの単語はモンゴル語で“無”を意味するもので、ペルシャ語の発音で松脂を意味するものであったのだ。つまりモンゴル語とペルシャ語を混同しているのである。このように、些細なところから『東方見聞録』の不整合性がイタリアの研究でいくつも指摘されることになり、マルコ・ポーロが中国には行っていないという仮説が持ち上がることになったのだ。

■浮上するマルコ・ポーロ“非実在説”

 マルコ・ポーロの“非中国滞在説”のきわめつけともいえるのは、モンゴルおよび中国側の史料にいっさいマルコ・ポーロに関する記録が残されていない点だ。フビライ=ハンのもとで政治の要職にも就いたマルコ・ポーロがまったく記録に残っていないのはやはり不自然だろう。

 まさにそのものズバリというタイトルの『Did Marco Polo Go to China?』(1995年刊)の著作を持つ大英博物館・中国セクション主任のフランシス・ウッド氏は、おそらくマルコ・ポーロ氏は黒海を越えてアジア側に入ったことないだろうと推測している。その根拠として、中国大陸の人々の日常生活にまつわる記述が皆無であるという点だ。好奇心旺盛な探検家として、中国人女性の“纏足”や食事の際に使う箸、中国茶の飲み方などは好奇の対象であっただろうし、万里の長城を目の当たりにして驚いたはずだが、そのいずれについても記述がないということだ。

 さらに釈然としない点には、商人の父親や叔父といった家族と共に中国に渡ったことになっているわりには、マルコ・ポーロの実家からは中国製の物品がまったく見つかっていないことも挙げられるという。

 とすれば、マルコ・ポーロは中国へは行っていなかったのか? ここまでは“非中国滞在説”ということになるが、実はマルコ・ポーロそのものが存在していないのではないかという“非実在説”も持ち上がってきている。そのカギを握るのが、『東方見聞録』を実際に執筆したルスティケロ・ダ・ピサ氏の人となりである。

 今風にいえばゴーストライターとして、ピサ氏はジェノヴァで捕虜となり収監されていたマルコ・ポーロからかつての旅の模様や冒険談をいろいろと聞いてまとめあげたのか『東方見聞録』ということになっている。

 とはいえ実はピサ氏は決して伝記作家などではなく、娯楽読み物を数多く書いていたフィクション作家であったのだ。また1298年に最初に出版された『東方見聞録』は非常にページ数が少ない薄い書籍であったが、版を重ねるたびにピサ氏が書き加えてボリュームが増え、次第に読み応えのある“読み物”になっていった経緯があるという。このようなことを考えあわせてみると、そもそもジェノヴァに収監されていた“マルコ・ポーロ”なる人物その人が、ひょっとすると冒険物語の主人公というフィクションなのではないかという疑惑も持ち上がってくることになるのだ。

 はたして真相やいかに? 夢とロマンに溢れた中世の大冒険家であるマルコ・ポーロが架空の人物だとすれば中世史を修正しなくてはならなくなるが、“タイムマシン”を使わないことには直接確かめることはできない。マルコ・ポーロについて今後新たな史料が出てくるとはなかなか考え難いが、研究に進展が見られるとすれは興味深い限りだ。
(文=仲田しんじ)

※画像は、マルコ・ポーロ 「Wikipedia」より引用

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