
1992年に福岡県飯塚市で小1の女児2人が殺害された「飯塚事件」で、無実を訴えながら死刑判決を受け、2008年に70歳で絞首刑に処された久間三千年(くま・みちとし)。杜撰なDNA型鑑定が元凶の冤罪だった説が根強いが、その人物像はあまり語られてこなかった。久間本人が処刑直前に綴った遺筆や、無実を信じる妻の声明文から久間の実像に迫った。
■遺筆からは再審無罪への意欲と自信が窺えるが...
〈人々の目から見て、明らかに冤罪とわかる本件の真実に対して、誤った地裁、高裁判決を最高裁は正すことなく棄却した。私はこの棄却を裁判所への落胆と大きな怒りをもって受け止める〉(以下、〈〉内は引用。すべて原文ママ)
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死刑廃止を目指す市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」は2008年の夏、全国の死刑囚105人にアンケート調査を行った。この文章は当時、福岡拘置所に収容されていた久間がアンケートに応じ、「今、一番訴えたいこと」として綴った手記の一節だ。
手記では、次のようなことも綴られている。
〈真実は再審にて、この暗闇を照らすであろうことを信じて疑わない。真実は無実であり、これはなんら揺らぐことはない〉
久間は当時、再審請求を準備中だった。再審で無罪判決を勝ち取ることに強い意欲と自信を持っていたことが窺える文章だ。
だが、それは実現しなかった。久間はこの手記を書いた日から80日余り経った2008年10月28日、法務大臣・森英介の発した死刑執行命令により、絞首刑に処されたからである。久間が裁判で有罪とされた決め手は、あの冤罪・足利事件の菅家利和と同じく警察庁科警研が90年代前半に行った技術的に未熟なDNA型鑑定だったにもかかわらず――。
死刑執行の1年後、久間の妻が福岡地裁に再審請求。この請求は2014年3月に棄却されたが、現在も福岡高裁で再審請求即時抗告審が行われており、その動向が注目されている。
■妻が声明文で明かした「幸せな家庭」
生前の久間はどんな人物だったのか。
久間は事件当時、現場近くの町で妻や小学生の息子と暮らしていた。過去には公務員として働いたこともあったが、52歳だった当時は外で働かず、家庭では「主夫」のような立場で、外で働いていた妻の給料と自分の年金で生活していたという。平日は毎日、妻を車で職場に送り迎えしていたそうだから、マメな性格だったのだろう。
そんな久間の妻が綴った声明文が2015年1月、再審弁護団が福岡市内で開いた集会で公開されている。それには、次のような一節がある。
〈私たち家族の幸せは、日々のなかにあり、夫の優しさ、思いやりは、生活の中に満ちあふれていました。子供の成長に合わせて、軽自動車のワンボックスから普通車のワンボックスに替えて、運転席に3人で座って出かけるのが楽しみでした。
私が一度は行ってみたいと思っていた富士山にも連れていってくれました。富士山に向かって走る高速道路でトンネルを抜けると目の前に現れる富士山は美しくて素晴らしいものでした。深く心に残っています〉
久間が外で働いていなくても幸せな家庭を築いていたことが窺える。
ちなみに家族の思い出づくりに貢献した久間の車は事件直後、被害女児2人のランドセルなどが見つかった山林近くで目撃されており、裁判で有罪の根拠の1つとされた。しかし弁護団が再審請求後、捜査記録を再検証したところ、福岡県警の捜査官が久間の車の特徴をあらかじめ確認したうえ、目撃証人を誘導し、久間の車を目撃した内容の証言をつくり上げた疑いが浮上している。
■町内会長として警察に捜査協力も申し出ていた
妻の声明文には、こんな記述もある。
〈夫にとってこの上ない屈辱だったのは、幼い二人のお子さんの命を奪ったと言われたことだと思います。もし、その現場に遭遇していたら、夫は自分の体を張って子供たちを守っていたと思います。夫はそういう人です〉
つまり、久間は正義感の強い人物だったというわけだが、これを家族の「ひいき目」ではないかと思う人もいるだろう。しかし調べてみると、実際に久間が事件直後、事件解決のために率先して動いていたことを示す記録もある。それは、裁判の第一審で福岡地裁裁判長の陶山博生が宣告した死刑判決の次の一節だ。
〈被告人は、警察が有している情報を探り、自己が町内会長をしていたことから明星寺団地の住民全員から毛髪を提供させようなどと言って警察の捜査に協力するように見せかけており、捜査の撹乱を意図したものと認められ、犯行後の行動も狡猾である〉
つまり、町内会長だった久間は事件後、捜査が難航する警察に協力を申し出たりもしていたのだが、それが裁判では、怪しい言動であるかのように評価されたわけである。
それにしても、「住民全員から毛髪を提供させよう」と警察に申し出たことがなぜ、捜査を撹乱したことになるのか。こうした事実認定からは裁判官が審理中、「久間=犯人」という予断にとらわれており、久間の言動が何もかも怪しく思える心理状態だったことが窺える。
■突如見つかった「疑惑の血痕」
弁護団関係者によると、久間は「相手が誰でも言うべきことは言う性格」だったという。それは、冒頭の手記からも窺える。久間は処刑の直前まで、警察による証拠捏造を強く訴えていたのだ。
〈平成四年九月二九日にルミノール検査をした筈の警察がシートの裏側に付着していたという血痕を平成六年四月まで発見できなかったのも不自然なら、その部位のシート表面から、ルミノール反応が全く出ていないのは、全く説明不能という外はない〉
久間の裁判で有罪の決め手にされたのは、科警研のDNA型鑑定だが、捜査段階で逮捕の決め手となったのが「血痕」だった。それは1994年4月、久間の車の後部座席シートから検出されたのだが、実はその1年半余り前、福岡県警が久間の車の中をルミノール検査した際には検出されていなかったという不思議な証拠だった。
警察の捜査が難航する中、このように重要な物証が突如、不可解な形で見つかり、容疑者が検挙されるというのは重大な冤罪事件でよくあることだ。
久間は手記で、〈警察が証拠を捏造して逮捕したあの時から14年の月日が流れた〉と言い切り、こう訴えている。
〈私は無実の罪で捕われてから、拘置所に十四年収監されている。今年の一月九日で七〇歳になった。本件は冤罪事件だけに、重大な人権侵害である〉
この手記を書いて80日余りのち、ある朝突然、死刑の執行を告げられた時、久間の心中はどんなものだったろうか。
妻は声明文で、こう綴っている。
〈夫は死刑が確定した後も無実を訴え続けました。再審請求の準備中に、足利事件でDNA再鑑定が決まり、夫の事件でも希望が見え始めていたとき、突然に命を奪われました。そのときの気持ちは言葉で表すことができません〉
福岡高裁で行われている再審請求即時抗告審は実質的審理を終えており、もうすぐ結果が出る見通しだ。公正な判断を期待したい。
(取材・文・写真=片岡健)
久間は真っ黒だろ。 この事件を冤罪とするなら、日本の犯罪は現行犯以外は逮捕出来なくなるよ。
この事件の4年前、小学校1年の女の子が行方不明になった。最後に会った人物が、久間三千年。この事実みんな知っているのか?
火のない所に、煙は立たない。もう、終わった案件。