写真家・中筋純が撮り続ける「原発事故」の真実! 時間が止まった街が廃墟化する過程…現在の福島は日本の未来の姿だ!

写真家・中筋純が撮り続ける「原発事故」の真実! 時間が止まった街が廃墟化する過程…現在の福島は日本の未来の姿だ!

 日本屈指の廃墟写真家・中筋純は、原発事故の地チェルノブイリ、そして、福島の帰還困難区域やその周辺に定期的に通いながらドキュメントを続けている。

 2011年の東日本大震災は、日本の観測史上最大のマグネチュード9を記録し、毎年3月上旬にはその記憶が呼び起こされるような行事やイベント、マスコミ報道などが集中する。実際、災害で亡くなられた方々の鎮魂、いまも困難を抱える被災者の方々への共感などは、震災の日が訪れるたびに多くの人々の胸に響くものとなっている。だが、中筋は原発事故にフォーカスしている点で特徴的である。

【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2018/04/post_16607_entry.html】

 2013年、東京オリンピック開催が決定したとき、中筋は「フクシマを消しにかかるな」と直感したという。だからこそ、福島原発事故の傷跡を写真として記録し続けることへの使命感に燃えるのだ。

 2018年3月7日~3月18日、あざみ野の「スペースナナ」にて、中筋純写真展『流転 福島&チェルノブイリ』が開催された。展示会場にお邪魔して、話を聞いた。


――1986年のチェルノブイリ原発事故と福島原発事故を比較するとどうでしょうか?

「今回の写真展もそうですが、『流転』のシリーズは福島とチェルノブイリを比較して見せてきました。僕は、07年からチェルノブイリに通っているので、福島と両方を見るようになって、同じシチュエーションをたくさん発見しました。福島をチェルノブイリといっしょにするなという意見もありますが、原発事故とはどういうものかを見て欲しい。事故当日のまま時間が止まった街、住民がいなくなって廃墟化していく過程、人間の構造物を飲み込み繁殖する自然の姿、どれもそっくりなんです。そして、逃げ惑う人たちがいる一方で、立ち入り禁止区域に戻ってくる人たちもいます。普通の人々の普通の暮らしがあって人間の様々な思いが交錯するところも、福島とチェルノブイリに共通します」


――チェルノブイリは事故から30年以上経って、中筋さんが撮られた、立ち入り禁止区域で自給自足で生活する老婆たち(サモショール)もかなり高齢と聞きました。

「彼らは慣れ親しんだ土地が一番いいというんです。チェルノブイリはいまも30キロ圏内立ち入り禁止、それでも彼らはそれを無視して勝手に戻って暮らしています。ただ最近は高齢化に伴い限界集落化が進み、最近では圏外の福祉施設への入居を希望される方も多いと聞きます」


――チェルノブイリの立ち入り禁止区域の検問はどんな感じでしょうか?

「結構厳しいんですよ。入域希望者は許可書が必要で、事前に行動計画書を提出しないといけない。どこに行って、何を撮るか、立ち入り禁止区域の老婆たちに会うことも事前に申請します。僕の場合は数回の撮影後、役所の目付役と知り合いになって、彼がガイド兼ドライバーになってくれるから、比較的自由に動けます。チェルノブイリは30キロ圏と10キロ圏に検問があって、帰るときはどちらでも簡単なホールボディカウンターを受けないと検問のゲートが開きません」


――廃墟写真と原発関連の写真の違いはなんでしょうか?

「僕は廃墟を死に絶えた空間としては撮っていないんです。廃墟のなかでコケや植物が繁殖していく再生の力、自然と同化していく過程に、儚さと一筋の希望を感じています。原発事故は僕らに想像を絶する時間の流れと向き合う状況を作りました。それを僕が長年やってきた廃墟写真の手法でどうあぶり出すか。とにかく足繁く通って風景の変化を記録し続けることにしました。撮影の目的地としては一番たくさん通ったんじゃないかな。そうなるととても愛着が湧いてきて浜通りは廃墟にはならない! と思うようになったんですけど、昨年、大熊町に行ったときに『あっ、廃墟の臭いだ!』というのが鼻について、もう元の姿には戻らない向こう側に行っちゃったなと悲しくなりました。」


――一回朽ちてしまうと辛いですよね。建て替えないと住むことは難しい。

「ほとんど人は戻らないでしょうね。先祖伝来の土地で、墓があったり、宮守をしていたり、そういう地域の伝統を継承する役割の人たちに限っては、なかなか土地との縁を切れない現実もあるでしょう。とにかく、自分の故郷であっても時間が経つと記憶は薄れていく。そういう意味で、僕が撮ってきた街並みの写真なんかも記録として意味を持ってくるようになると思っています」


――いまの原発の状況はどうでしょうか?

「デブリ(溶け出した核燃料)の状況が特殊技術でわかるようになってきたのは良かったけど、政府や東電がデブリを早く取り出そうとしているのか謎ですね。今は臨界していない安定状態だから、使用済み核燃料を取り除いた後はデブリの放射線量が減衰するまでこのまま封じ込めてしまえばいい。原子炉の形態、事故の形も違うからチェルノブイリと比較するのもおかしいですが、チェルノブイリの新石棺広報官の話から得た印象では、廃炉行程の計画が数十年単位の大雑把なもので彼らはもう燃料を取り出さず、ずっと封じ込めていくしかないと考えているんじゃないかと。福島第一原発もそうするしかないと思います」


――去年春、日本政府が避難指示を解除しました。それはひとつの大きな変化ですよね。

「帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域という3つの区域に避難指示が出ていたのが、昨年春に放射線量が低レベルの2つの区域が大熊町双葉町を除いて一気に避難指示解除になりました」


――それまでの立ち入りはどのように?

「居住制限区域、避難指示解除準備区域は、昼間は入れるけど、住むことはできなかったんです。たとえば、浪江みたいに盗難や事故の防止のため、自治体が独自にゲートを設けていたところもありました。とにかく、帰還困難区域のなかも、2023年度をめどに特定区域は除染して帰還を目指すというのが政府の方針ですから、当該区域は集中的に工事が始まっています」


――原発にすごく近い場所への居住は無理ですよね。

「もともと人口が多かった駅前は戻そうとしています。でも、住民たちはどう言っているかといえば、これからさらに5年くらい掛かって、除染完了したから戻ってきていいですよと言われても、どうやって住むんだと。現実はもう戻るつもりはないでしょうね」


――廃墟になった家の取り壊しも進んでいるとも聞きます。

「富岡や浪江は、今年3月まで家屋解体の費用を政府が負担してくれるんです。避難生活をしてきた人たちが残してきた自分の家をどうするか、答えを出さないといけない問題に直面しています。避難指示解除から段階的に、持ち家には固定資産税がかかってくるので、取り壊して手放すのかを決めないといけない。結局、街が消えていくことになるでしょうね」


――新しく建てていた家もあるようですが

「復興公営住宅のことですね。希望を出せばそこに住むこともできるけど、普通の生活に必要なインフラが整ってないから、元住民の帰還率は低迷しているようです。富岡町の駅前などに建てられているアパートやマンションは結局のところ原発作業員のため。廃炉作業は40年、50年、下手したらもっと続くから、それで経済をまわしていくしかない」


――改めて、福島原発事故が日本に与えた影響とは何でしょうか?

「いろんなことがあるけど、深刻なのは日本が分断されてしまったことでしょう。原発事故を通して、国は本当のことを教えてくれないとわかって、政治や社会の運動に関わろうという人たちが出てきました。でも、その反動でますます国に依存しちゃう人たちもいます。さらに全てに無関心な平和な人たち、それも結構大多数。そんな三極構造が露わになってしまったんです。その結果、マイノリティーなものに対する寛容度がなくなってきたように思います」


――これから日本はどうなっていくのでしょうか?

「いま、日本の人口は約1億2千万人ですが、どんどん減り続けているので、数十年後には8500万人くらいになると言われています。つまり、地方の過疎地には誰も住まなくなってしまう。福島の帰還困難区域やその周辺は、現時点でそうなっています。現在の福島は、日本の地方の未来の姿のようにも思えます」
(取材・文=ケロッピー前田)

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