さくらももこさんの哲学的スピリチュアルが興味深い! 生前に解き明かした「脳と心と魂の関係」とは?
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 8月15日に漫画家のさくらももこが乳がんで亡くなっていたことが判明して、日本中に大きな衝撃を与えた。さくらももこといえば、国民的人気マンガ『ちびまる子ちゃん』の著者であり、その作品は幅広い世代に愛されていた。また、ベストセラーとなった『もものかんづめ』などのエッセイの執筆、アニメ版『ちびまる子ちゃん』の主題歌である『おどるポンポコリン』『走れ正直者』の作詞など、マンガの枠を超えてマルチな才能を発揮していた奇才だった。

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 そんな彼女が生前、スピリチュアルに傾倒していたのは有名な話だ。ただ、彼女はいわゆるスピ好きにありがちな「非論理的」な思考の持ち主ではなかった。彼女のマンガやエッセイに含まれている笑いの要素は、対象物を冷静に突き放して観察し、それを素材にしてどこまでも考察を深めていく論理的思考力の賜物だ。

 彼女の場合、そんな理屈っぽい考え方の行き着く先にたまたま精神世界があっただけであり、理屈から逃げてそこにたどり着いたわけではない。常人離れしたレベルで論理的思考を突き詰めていった科学者や哲学者が、最終的に宗教やスピリチュアル的なものに至るのは珍しいことではない。さくらももこも実はそういうタイプの人間なのではないかと思う。

 そんな「哲学者さくらももこ」の一面を端的に示すエピソードが、1995年に出版された『そういうふうにできている』(新潮社)の中に出てくる。この本では、彼女が初めての妊娠と出産を経験したときのことが書かれている。便秘に悩まされ、ホルモンバランスの乱れに苦しめられ、帝王切開で出産。そんな苦闘の日々を振り返りながらも、どこか自分自身を冷めた視点で客観的に描いているところが面白い。そんな彼女は、帝王切開の手術のために局部麻酔を受けて、自分の意識が普段とは違う状態に徐々に変化していくのを冷静に観察していた。

【引用】
私は意識が実に生々しくクリアになってゆくのを感じていた。自分自身が明らかになってゆく奇妙な感覚である。それと同時に、心のほうはどんどん静かになっていった。この世における未練が遠ざかってゆき、仕事のことも、大切な人々のことも、何もかもが本来の自分とは無関係であり、地球で生活していた全ての出来事は地球にいた時のみ関わっていた雑事である事を感じていた。
(さくらももこ『そういうふうにできている』新潮社)
【引用終わり】

 この体験を通して、彼女は今までずっと考えていても答えが分からなかった問題の解決の糸口をつかんだ。それは「脳と心と魂の関係」である。自分とはそもそも何なのか? 心が自分なのか? 脳があるから心理現象が生じているに過ぎないのか?――彼女が感じていたそのような疑問は、哲学の分野でも「心身問題」と呼ばれていて、長い議論の歴史がある大問題である。

 彼女は局部麻酔で脳のシステムが休止するのを体験として味わい、そこから問題の答えにたどり着いた。導き出した結論は「脳と心と魂とは、全部別々のものである」ということだ。

 魂は「意識」と言い換えた方が分かりやすい。これが本来の自分そのものである。意識は「自分の根本のピュアなエネルギーの波動」であり、それ自体では他人と交流したりすることができない。そこで意識は乗り物として「肉体」を必要とするというのだ。肉体の一部品である「脳」は、その中でも重要な役割を果たす。言語で思考したり、感情や情報を伝達したり、記憶をしたりするためには脳というツールが必要なのだ。

 では心とは何か? ここからが彼女の仮説の面白いところである。意識や脳は存在するが、心は存在しない。心とは「意識が脳を使用している状態」のことだ。特定の「状態」のことを私たちが心と名付けているだけであり、そこに実体はないのである。

 この議論の進め方は哲学的な視点から見てもなかなか興味深いものがある。彼女は麻酔で脳のコンピューターシステムが休止したことで言語が止み、意識だけのぼんやりした存在になった自分を感じていた。その体験から自分なりに思索を重ねて「脳と心と魂とは、全部別々のものである」という結論に至ったのである。

 彼女の哲学になぞらえて言うなら、2018年8月15日にこの地球上で「さくらももこ」と呼ばれていた「肉体」や「脳」の機能は停止してしまった。しかし、本来の彼女そのものである「意識」がどうなったのかは分からない。乗り物を失った意識はどこへ向かうのか? 古今東西のあらゆる宗教家も哲学者も、さくらももこ自身も、誰もいまだにその答えを出すことはできていない。この世には哲学でもスピリチュアルでも解き明かせない不思議がある。なぜかそういうふうにできているのだ。
(文=ラリー遠田)

※画像は、『そういうふうにできている』(新潮文庫)