
トリオ漫才で一世を風靡した「レツゴー三匹」のリーダー・レツゴー正児(本名・直井正三)さんが9月29日午後5時48分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。80歳だった。
正児さんを知る人は「非常に正義感の強い人だった」と口を揃える。
正児さんは、後に吉本新喜劇の座長を務めた喜劇役者で、兄の故ルーキー新一さんと高校生のころから漫才コンビを組み、ラジオの演芸番組に出演。卒業後にサラリーマン生活を送った後、故横山ノックさんに弟子入りする形で芸能界入りした。
同時期にノックさんの弟子だった故横山やすしさんと「横山やすし・たかし」として活動したが、わずか1年ほどで解散した。当時を知る芸能関係者は「2人とも才能があり、若手では結構人気があるコンビだったが、自由奔放で弟子の仕事をちゃんとしないやすしさんと正義感の強い正児さんがぶつかって、解散に至ったらしい」と明かす。
解散後は吉本新喜劇などに在籍した後、1960年代後半に故レツゴーじゅんさん、故レツゴー長作さんとともに「レツゴー三匹」を結成。舞台に登場すると、自己紹介で「じゅんで~す」「長作で~す」とあいさつした後、真ん中の正児さんが「三波春夫でございます」と言うと、両側から顔を叩かれメガネがズレる、というネタはあまりにも有名だ。
関西では「横山やすし・西川きよし」と並ぶ超売れっ子だった。
「まだ漫才ブームが到来する前のことだが、関西のお笑い界では最も権威があると言われる上方漫才大賞を『やすきよ』が70年に受賞すると、「レツゴー三匹」も73年に受賞。この2組以外は、当時大御所と言われるコンビしか受賞してないから、いかに人気があったかの証明でしょう」(同)