
〝超獣〟ブルーザー・ブロディは1979年の全日本プロレス初来日当初から、ファイトぶりとは裏腹にリングを下りると穏やかで知的なレスラーだった。カメラマンの注文にも応えてくれるサービス精神もあった。
写真は今から32年前の1988年4月3日、福井・武生市(たけふし=現在の越前市)体育館でのもの。試合前にブロディら外国人選手がベンチプレスなどで練習している様子を撮影していると、子供用ヘルメットが置かれているのに気付いたブロディは、頭にチョコンと乗せ角材を手に取りバットがわりに振り始めた。すると、それを見たジミー・スヌーカがキャッチャー役とばかりにブロディの後ろに回りポーズをとった。見事な連係プレー(?)だった。
スタン・ハンセンとの〝超獣コンビ〟はあまりにも有名だが、このスヌーカとのコンビでもあまたのエピソードを残している。
ブロディとスヌーカは81年12月13日、蔵前国技館で行われた「世界最強タッグ決定リーグ戦」で優勝。翌年、仲間割れを起こし遺恨試合まで行ったものの、ブロディが全日本の扱いに不満を持って新日本プロレスに移籍。85年に新日本と提携関係にあったWWF(現WWE)で人気者だったスヌーカが新日本へ参戦してコンビが復活した。
しかし「IWGPタッグリーグ戦」最終戦の12月12日、仙台で予定されていた藤波辰巳(現辰爾)、木村健吾組との優勝戦をボイコット。2人は、新日本の外国人選手の定宿だった新宿の京王プラザホテルを勝手にチェックアウトし、同じ新宿にあるホテルセンチュリー・ハイアット(現ハイアット・リージェンシー東京)に移ってしまった(後日帰国)。