
【球界平成裏面史 阪神世界一編(2)】阪神が平成16年(2004年)3月29日、日本でのMLB開幕戦を控える名門・ヤンキースを11―7で破った「歴史的勝利」は大いに盛り上がった。しかし、この時何よりも注目されていたのはゴジラこと松井秀喜が日本に“初凱旋”してプレーしたことだ。虎との試合では「2番・左翼」で出場し3打数1安打で終えたが、その松井らヤ軍ナインをまぶしい思いで見つめていたのがこの日、2番手で登板した阪神の藪恵壹投手(35=当時)だった。
虎の暗黒時代を支えてきたベテラン右腕は世界最強打線を相手に3回1安打1失点と力投。主砲・ジアンビの代役・クラークに推定150メートル級の特大弾を許し「パワー打者は多いから甘いところに入ったら打たれる。しかし、とてつもなく飛ばすな」と舌を巻いていたが、その後日、本紙に同年オフFAでのメジャー移籍を決心したと“初激白”したのだった。
「まずは優勝してメジャーに行くことが一番。もちろん、シーズンに入ればメジャーは封印してプレーに没頭する。条件はチームの連覇になるでしょ。今までずっと支えてくれたファンがいるし、成績が悪いのに行くわけにはいかないよ」
藪は平成15年(03年)のシーズン中にFA権を取得。もともとメジャー志向がありながら同年オフには行使せず、保持したままシーズンに臨んでいた。キャンプ前は「メジャーを含めたいろんな選択肢から自分の野球人生にベストと思える道を探したい」と話していたが、メジャー移籍1本に絞ったのはまさに“阪神世界一”となった、この時期だった。