
【ルックバック あの出来事を再検証(4)中編】フィギュアスケートの世界選手権を2度制覇した安藤美姫(33)が、初めて苦悩の胸中を語った。華麗な演技で注目を集めるようになった一方、プライベートでは世間から好奇の目を向けられるとともに激しいバッシングを受け、一時は完全にふさぎ込んだ。そんな中で運命を変えてくれた女性、同じ時代を生きたバンクーバー五輪銀メダリスト浅田真央(30)の存在だったという。
――現役時代と変わらないですね
安藤 いえ、見た目は変わっていますよ。もう若くないですから。でも、現役のときより笑顔は増えたかな。当時はメディアの方にバリアを張っていたので。会見中に嫌な質問をされて泣いたこともあるし、高校の正門の前にパパラッチの方がいたり…。アスリートとして扱われていないってことは18歳で気づいていました。それからメディア関連の方は一切、信用しなくなりましたね。
――メディアの一員として耳が痛い
安藤 今回、東スポって聞いてちょっと焦りましたけど(笑い)。でも、今は理解していますよ。質問するのも写真を撮るのもお仕事。それでフィギュアが注目されたのも事実なので。ただ自分の大切なスケートに関しては絶対に譲れない部分がある。そこさえ守れれば、多少のことは許容できるようになりました。
――つらかった時期も
安藤 トリノ五輪シーズン(2005―06年)ですね。誹謗中傷が怖くて完全に引きこもり状態。最近SNSの中傷で命を落とした選手もいましたが、私の時代は手紙でした。ほとんどが中傷。正直、自殺が頭をよぎったこともあります。だから早く辞めたかった。自分がスケートをやっているから見世物になる。もうトリノで引退しようって思っていました。
有名人を誹謗中傷するのが好きななって創価、真如苑、共産党系の政治活動やデモ活動している人間達だよね。ま、こんな事書くとお前だろと言うけどさ。自分達の立場が悪くなりそうだと、他人を見たてて押し付ける
03 20:51「好きななって」「他人を見たてて押し付ける」>日本語としておかしい。ま、そういう奴って、日本語も正しく使えん「お前だろ」?