【加藤伸一連載コラム】他校からの襲撃事件で甲子園が春夏とも消滅

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(11)】 高校球児には甲子園を目指すチャンスが1年夏から3年夏まで計5度あります。しかし、倉吉北高から聖地を目指した僕は1年夏が出場辞退。2年春は「対外試合禁止」で絶たれました。前回触れたように2年夏は準々決勝で敗退。それでも3年の春と夏、2度のチャンスが残っていました。

 1982年秋、新チームとなって船出したばかりの僕らに、再び悪夢が襲い掛かります。今度は他校生ら十数人との乱闘事件でした。9月16日午後3時ごろ、オートバイなどに乗ってきた倉吉工生らに挑発されて、いずれも3年生の野球部員数人が応戦。110番通報で警察官が駆け付けたため、双方の生徒らは退散したものの、直後に倉吉北の寮付近で“第2ラウンド”のゴングが鳴り、合わせて4人がケガをする事態となったのです。

 乱闘から数日後には新聞沙汰となり、学校側から鳥取県高野連に対して当分の間、対外試合を自粛して謹慎するとの旨を伝え、受理されたことで翌春の選抜大会につながる秋季大会は自動的に出場辞退。1年前に“慈悲の心”で対外試合禁止を8か月にして、翌年の夏に向けて希望が持てるように配慮してくれた日本学生野球協会や高野連にしてみれば、裏切られたとの思いもあったことでしょう。

 サラリーマンだった父は、僕が“期待の星”として倉吉北に入学したのを機に新聞記事のスクラップを始めました。それは84年にドラフト1位で南海に入団して以降も続き、引退後の評論記事まで丁寧に整理されています。しかし、倉吉北時代の記事は「リンチ」やら「暴行、傷害」「書類送検」といった、おどろおどろしい見出しのものばかり。取り上げられる選手名も実名ではなく「少年A」や「少年B」。高校の野球部なのに運動面より社会面での掲載率が高いという異常事態でした。


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