久慈次郎と函館大火

久慈次郎と函館大火
久慈次郎氏の墓前に手を合わせる日本ハム・栗山監督

【越智正典「ネット裏」】先週、結団時の巨人の話をしたが1934年、昭和9年、ルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルースらを迎えた読売新聞社主催の第2回日米野球の全日本の主将捕手、函館オーシャンの久慈次郎は町の人々に慕われ、尊敬されていた。

 この全日本が大会後に日本の職業野球第1号球団、大日本東京野球倶楽部、巨人軍の母体となるのであるが、正式に発足すると他にまだ職業球団が誕生していなかったので腕を磨くため、35年2月14日、横浜出帆の秩父丸でアメリカに向かった。が、久慈は乗船出来なかった。大火に苦しむ町の人々と別れて渡米出来なかった。

 34年3月21日、函館は朝から烈風で、家々がちょうど晩ごはんの時間帯の午後6時53分、住吉町から火の手があがり、風にあおられて燃えひろがった。消防署の風速計は45メートルで止まったままこわれていたという。

 先年、函館を訪れたとき、早大、中日、大洋、オリオンズのホームラン打者、森徹に少年時代に野球を教えた沢田新平と朝、大森海岸を散歩すると「あの晩、わたしはひと晩じゅう海につかっていました。ちょうどこのあたりです。流されないように着物の帯をしっかり岩に結びつけて…。海も真っ赤でした」。久慈の家も、同じ函館オーシャンから全日本に参加の華麗な一塁手永沢富士雄の家も焼けた。永沢の次の一塁手が投手から転向し、大打者となる、川上哲治である。

 久慈が秋の日米野球を終えて帰函すると大惨事だったのが益々はっきりした。亡くなった方は2054人。重軽傷1万2592人。行方不明662人。罹災市民は12万4550人。焼失家屋2万4186戸。函館の人口が21万6900人。家屋は4万2117戸であったのだから惨禍はすさまじかった。


あわせて読みたい

東スポWebの記事をもっと見る 2016年5月1日の野球記事
この記事にコメントする

\ みんなに教えてあげよう! /

トピックス

今日の主要ニュース 国内の主要ニュース 海外の主要ニュース 芸能の主要ニュース スポーツの主要ニュース トレンドの主要ニュース おもしろの主要ニュース コラムの主要ニュース 特集・インタビューの主要ニュース

野球ニュースアクセスランキング

野球ランキングをもっと見る

コメントランキング

コメントランキングをもっと見る

新着キーワード一覧

このカテゴリーについて

プロ野球、MLB、日本代表、甲子園や人気の野球選手など野球にまつわる情報をお届け中。

通知(Web Push)について

Web Pushは、エキサイトニュースを開いていない状態でも、事件事故などの速報ニュースや読まれている芸能トピックなど、関心の高い話題をお届けする機能です。 登録方法や通知を解除する方法はこちら。