伝説の組織を“解散させた男”

伝説の組織を“解散させた男”
「花と銃弾」を出版した向谷匡史氏

 昨年12月16日に89歳で亡くなった安藤昇さんが率いた伝説の組織「安藤組」を“解散させた男”がいる。安藤組の幹部で、安藤さんが最もかわいがった“子分”だった西原健吾だ。安藤さんは、西原の死によって安藤組解散を決意したという。その西原の視点から安藤組を描いた本「花と銃弾 安藤組幹部 西原健吾がいた――」(青志社)がこのたび発売となった。安藤さんの秘書役を20年以上にわたって務めた著者・向谷匡史氏(66)に話を聞いた。(一部敬称略)

 もはや伝説となっている安藤組は、後に俳優、小説家など多彩な顔を見せた安藤さんが率いた組織で、1952年に結成(株式会社東興業として登記)。花形敬などの有名人を輩出、東京・渋谷を中心に、戦後の裏社会で旋風を巻き起こした。

 解散したのは、東京オリンピックが閉幕して間もない1964年12月。安藤組の幹部だった西原が抗争相手に射殺されたことで、安藤さんは安藤組解散を決意したという。向谷氏は「こういう若い衆を亡くしちゃって解散するっていうのが安藤さんらしいよね。幹部とか若い衆が死ぬたびに解散する組なんてないですよ。それを当時38歳の安藤さんが踏ん切ったというのがね」

「花と銃弾――」は、その西原を主人公に描いたエンターテインメントノンフィクションだ。なぜ向谷氏は西原にスポットライトを当てた本を書こうとしたのか? そこには安藤さんの“遺言”があったという。

「亡くなる2~3か月前、『西原は一番かわいがっていた男なんだ』と。『西原にオーバー(コート)をやったら喜んでね』って、意外だなと思った。そういう言い方をする人じゃないんですよ。誰が好き、誰が嫌いという言い方をする人じゃない。だから珍しいなと思った。人を評さないんですよ。それが一番かわいがっていたというので、“おやっ”て思って。それが本にしてみようと思った引き金ですよね」

 西原は国学院大学空手部出身で、もちろんケンカは強かった。だがそれ以上に、開明的な頭脳を持っていた。58年には日本人空手家として初めて、タイのムエタイの聖地ルンピニー・スタジアムでムエタイの試合にも臨み、壮絶な打ち合いの末に敗戦となったが、歴史に名を刻んだ。

「安藤さんとかぶるんだけど、誰に聞いてもインテリで、見ている視線が遠くて。安藤さんとは感性が合ったみたい。西原というのは舎弟、兄弟なんかも『YOU(ユー)』という呼び方していたんですね。お前とか言わなかった人みたいね。旧態依然としていない」

 西原がムエタイのリングに上がってから4か月後、安藤組による実業家・横井英樹襲撃事件が発生。

 これにより安藤ら幹部が軒並み懲役刑となり、安藤組は弱体化。表社会、裏社会にさまざまな人脈を築いていた西原には多くの組織からスカウトが来たというが、最後まで安藤組を守るために残り、64年に射殺という悲劇の最期を迎えた。

 向谷氏は「日本人が一つの筋だとか価値観だとか、いろんなものに殉じて生きていくということが今はなくなってきた。自分にプラスになる、マイナスになるという尺度でしか生きていけない時代に、やっぱり日本人として何かに殉じるという生き方もあるんじゃないかということをここで書きたかった」。

 安藤さんが伝説の安藤組解散を決意させた男の生きざまが今、クローズアップされる。

☆むかいだに・ただし=1950年生まれ。広島県呉市出身。拓殖大学卒業後、週刊誌記者などを経て作家に。浄土真宗本願寺派僧侶。日本空手道「昇空館」館長。安藤昇事務所(九門社)時代から二十余年にわたって、安藤さんの秘書を務めた。

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