巨人二軍の黎明期…若者の朝はモモ上げで始まった

巨人二軍の黎明期…若者の朝はモモ上げで始まった
巨人の第1回公募テストに合格した内藤博文は後に巨人のコーチを務めた(1977年12月、右から岩本尭二軍監督、内藤、正力亨オーナー、与那嶺要)

【越智正典「ネット裏」】巨人第二期黄金時代(1951年~53年、日本選手権対南海3連勝)前夜の、兵庫県明石キャンプは、若い選手の踏み切り前でのモモあげで明けた。巨人は阪急に習ってこれから二軍を作ろうとしていた。若い選手と言ったが公募テストの合格者と関係者の紹介の無名選手で、彼らのためのグラウンドも時間も用意されていない。

 宿舎大手旅館の目の前は山陽本線の踏み切りで渡ると明石公園の入口。松林を抜けると球場である。川上哲治、千葉茂、青田昇…、一騎当千の強者たちが練習を始める。間もなく“二軍”を預かることになる、名三塁手宇野光雄は打撃練習の順番を待つ間、シコを踏んでいた。宇野は正月は必ず初場所へ。仕切り、立合い、その気迫を見て、猛打球に飛びかかる彼の妙技を益々磨いていた。

 契約金が一律に、ちょうどポッキリ1万円で入団した若者たちは終日、先輩の使い走り、球ひろい、トンボかけ、打撃練習投手。毎日投げるので肩が痛くなっても、痛い!などとは言わなかった。言ったら放り出される。彼らは巨人軍の緊迫を感得していた。

「朝はやく起きて先輩が来るまでオレたちだけで練習しようぜ」。巨人第2回公募テストに合格し入団した岩下守道はユニホームを着て寝たが、朝、宿の前の踏み切りがなかなか開かない。貨物列車が走り抜けると、すぐにまた貨物列車。待っている時間がもったいないと、遮断機の前でモモあげをしていたのである。

 49年夏の甲子園大会の長野県東信予選で小諸実業に1対9で負けた小県農業(同年9月28日に学制改革で小県東部高校に)の投手岩下は、2学期が始まった朝、葉書を握りしめて、北佐久郡北御牧村大字羽毛山(東御市)の自宅を飛び出して登校を急いだ。


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