ミホノブルボン大往生28歳 「坂路の申し子」の“功績”

ミホノブルボン大往生28歳 「坂路の申し子」の“功績”
1992年日本ダービーを制したミホノブルボン。観客の歓声に応える小島貞博騎手

 1992年に皐月賞日本ダービーの2冠を制したミホノブルボンが老衰により死んでいたことが分かった。現役引退後は種牡馬として供用されていたが、2012年に引退。北海道日高町のスマイルファームで余生を送っていた。28歳だった。JRAの調教に革命を起こしたとされる“天才アスリート”の軌跡を振り返る。

 ミホノブルボンは父マグニテュード、母カツミエコー(母の父シャレー)という配合。当時は、現在隆盛を極めるサンデーサイレンスを源とする系統が登場する前の“父系混戦時代”だったが、その中にあっても、極めて地味な血統。700万円台という安価で取引された栗毛馬だ。

 当然デビュー前の評価は低かったが、入キュウ先の栗東トレセン・戸山為夫調教師に非凡なフィジカル資質を見いだされ、当時東西格差解消(関西馬が劣勢だった)のためつくられ効果を発揮し始めていた坂路コース(85年開場)のトレーニングで鍛え抜かれた。

 戸山師はそれ以前から良血、高額に偏りがちなこのサークルのトレンドに逆らうように、地味で安価な馬を鍛えて大成させ対抗するスタンスをとってきた。脚元に負担をかけず大きな負荷をかけられる坂路調教はまさに“理想の道場”で、そこに現れた最高の相棒がミホノブルボンだった。

 戸山キュウ舎の調教メニューは全長600メートル(現在は800メートル)の坂路コースを複数本乗るという厳しい内容。これに耐え切れず故障する馬も多数出たが、ミホノブルボンはこれを驚異の体力でこなし、同期とは一線を画す筋肉のよろいをまとった馬体を手に入れ、91年9月の中京の新馬戦でデビュー。このときは出遅れ気味のスタートもあって差し切り勝ちだったが、以後は非凡な潜在スピードを武器に先行押し切り勝ちを積み重ね、デビューから無傷のV3で朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)を制覇し世代の頂点に立った。


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