スワローズの“クマさん”佐藤進 人生のお手本

スワローズの“クマさん”佐藤進 人生のお手本
佐藤進のピッチング(1965年4月)

【越智正典「ネット裏」】「うちのそばに昔、アスリートだったらしい、奥ゆかしい男がいるんです。朝と夕方、散歩をしていますが、ご近所の方々にそれは丁寧に挨拶。小学生の登下校にぶつかると立ち止まり、微笑んで見送っています」。元日本テレビアナウンサーの倉持隆夫がひょいと話してくれた。

 倉持は全日本プロレス中継、国際学生柔道大会(正力杯)、東京マラソン…、王道実況。出向でテレビ金沢のニュースキャスターを務めたときは松井秀喜に慕われた。私は彼にその男の姿をもう少し話してくれないかと言った。倉持は得意の描写を始めた。そういえば彼はゴルフ日本シリーズの死闘が18番ホールに至ったとき「ふりむくと赤く咲くサルビアの花」と、名実況している…。彼の話からどうやら北海高、富士製鉄、1963年夏の全国都市対抗大会で久慈賞を受賞した“クマさん”、64年国鉄に入団した佐藤進投手らしいと思われた。

「彼の家の前へ行って表札を見て来ますよ。あとで電話します」。やっぱりクマさんだった。この話をニッポン放送の宮田統樹アナウンサーにすると、彼も心からよろこんだ。「テンポのいいピッチングでしたね」。プロ野球“卒業生”に、いまでも威張っている男は少なくない。否定はしないが少年野球のコーチをするのがいちばんいいことだと、思っている男も少なくない。が、倉持や宮田がいうようにまず、自らを正すのが本当の球人だろう。

 佐藤進が国鉄に入団したのは東京五輪の64年であるが国鉄スワローズが最後となる年である。この球団の台所が少しずつ苦しくなり、積み重なり、クマさんが入団する2年前の62年にサンケイと事業提携、資金提供をあおいだ。終わりが近づいていた。64年12月12日、金田正一のクライスラー・ニューヨーカーが東京・有楽町の国鉄球団事務所ビルの隣りの駐車場に入ったときが終焉だった。契約更改の話し合いは10数分で終了。金田はB級十年選手の特権で巨人に移ることになる。チームは産経スワローズになる。


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