選手の心得は口伝以外の何者でもない

【越智正典 ネット裏】東京六大学秋のリーグ戦がたけなわなのにつられて、セピア色になった「稲門」創刊号を読んでいる。改めて本の奥付を見ると、昭和14年(1939年)12月30日発行で「編集兼発行人、東京府下吉祥寺本田北500番地、伊丹安廣(早大捕手、監督、昭和9年第2回日米野球審判長、神宮外苑元苑長、1978年殿堂入り)」

「発行所 東京市淀橋区戸塚町一丁目503番地、早稲田大学野球部合宿所内稲門倶楽部 電話牛込五五六番」

 昭和14年というと、日本も戦時色一色で、間もなく世界中の平和な灯が消えようとしていたときである。この年の秋は飯島滋弥、宮崎要、大館盈六、宇野光雄の“百万ドルの内野陣”の慶大が優勝決定戦で早大を2対0で破って優勝。早大を南村不可止のヒット1本に抑えて勝利投手となった高木正雄(平安中)はビルマで戦死した。28歳。首位打者、早大小野欣助捕手(八尾中)は台湾上空で戦死した。27歳。戦後、同期生たちは小野を偲んだ。「夜、合宿所の屋上で星を見ながらバットを振っていたなあー」

 泉谷祐勝(神戸一中、明治35年入学)の寄稿によると、この昭和14年秋のリーグ戦挙行に当たって、連盟負担の試合使用球は、文部省の統制で全部で18ダース(216球)だったという。プロ野球の例だが、いま、パ・リーグの試合で1試合に10ダースか11ダースの新球が繰り出されている。

 この親睦誌に井土敏慧(東筑中、大正5年入学)が中野正夫(南筑中、昭和8年入学)の消息を伝えている。井土は巨人軍の総監督に就任した市岡忠男が捕手を探していると聞くと、熊本工で川上哲治とバッテリーを組んでいた吉原正喜(78年殿堂入り)を推薦した。闘志の名捕手となり多くのファンに愛された吉原も、無謀なインパール作戦で戦死した…。26歳。


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