
【ネット裏 越智正典】16日、日本ハムと仮契約した清宮幸太郎が、24日に本契約をして会見した。本紙デスクに聞くと契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1500万円。私は昔、巨人軍総監督、球団専務市岡忠男のお住まいに通って巨人軍誕生について教えて頂いた日々を思い出している。職業野球が発足したとき、契約金という概念はなかった。
職業野球第1号球団、大日本東京野球倶楽部(巨人軍)は、ご存知のとおり1934年、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグを迎えた日米野球の全日本を母体にして、日米野球が終わった12月24日に正式に誕生したが、職業野球契約第1号選手、早大の俊英二塁手で、31年春の早慶戦で「満天下を沸かせた」本盗を敢行、奏功、卒業後全大阪で活躍していた三原脩にも、慶大、泰天実業団の水原茂にも契約金はなかった。月給制で二人とも170円。小学校の先生の初任給が45円の時代である。
職業野球契約第2号選手、法大、のちに近代二塁手の開祖となる苅田久徳は、卒業後、いまのNHKの加入課にいたが同じように契約金はなく、月給150円。そのかわり3年の約束だった。第3号選手、のちのプロ野球初の打撃三冠王(38年秋)、中島治康は月給120円。早大で活躍後、藤倉電線にいた。兵役が近づいていたからだったが、あとで100円の調整が付いた。
なにせ職業野球について見当もつかない。市岡はのちに再考すべきだと述べているが、そこで社会人が月給170円、大学卒130円、中等(高)学校卒業選手120円と、一応決めたのである。その後、誕生する職業野球も同様だったようで“次男球団”タイガースの豪球豪打景浦将の場合は初代主将、松木謙治郎によると220円。このうち本人に120円。実家に月100円の5年分を前渡ししたそうだ。