1628年8月10日に初めて出港したスウェーデンの大型軍艦「ヴァ―サ」号は、船長さ69m、マストの高さ52m、重量1200tに及び、3本のマストに10枚の帆を掲げ、64門の大砲を備えた強力な軍艦に「なるはず」でした。しかし誰もが予想しなかった展開に陥ります。
ヴァ―サ号の建設が始まったのは博物館の公式サイトなどによると1626年とのこと。スウェーデンは大まかに言えば16世紀半ばから18世紀初頭にかけて、ポーランド・リトアニア共和国と何度か戦争を繰り広げていたので、海軍力の増強が必要でした。建造された場所も当時ストックホルムで最大の造船所で、大工や塗装工、帆布製造工など約400人が働いていたとされます。
ただ、当時の設計者は造船工学に基づくよりももっぱら経験則に頼って設計されたとされ、このため、ヴァ―サ号も大砲を多く積んだ艦上部が重くなり、良好なバランスを得ずに完成。これが仇となり、強風下で出港時の礼砲を撃つために開いていた砲用の窓から海水が侵入し、わずか1300mほど進んだだけで船体が傾き沈没してしまいました。
今風に言うと、如何にも「出オチ感」いっぱいですが、乗組員150人ほどのうち少なくとも30人が死亡したと伝えられ、国防に直結する損失なだけに、関係者の失望感は言葉に表せないほど大きかったと現在も容易に想像できます。
「ヴァーサ号」その後どうなった?ヴァ―サ号は海戦で華々しい活躍はなく、わずかな距離を航海しただけだったため、沈没後はスウェーデン人の強く記憶に残ることはありませんでした。ただ、“目の前”の海底に眠る大型船を引き揚げたいと考える者が現れてもおかしくなかったということでしょう。実際にスウェーデン人の海洋技術者が1954年から1956年にかけて探した末に見つけました。引き揚げ作業は1957年に始まり、1961年4月に巨大な船体は333年ぶりに陽の光と空気を浴びたのです。
ヴァ―サ号をすっぽり収めた博物館が完成したのは1990年。大型の船体は圧巻ながら、それをすっぽり収めた博物館にも驚きます。その一方、長い間、海底で酸素に触れていなかった引き揚げ物の保存はいずれも徹底した脱塩処理が必要で、紫外線や乾燥も避けねばならず、保存は温度も湿度も常に空調設備で一定にし続けなければなりません。ヴァ―サ号も引き揚げられた後にそれらの処理は行われ、1990年にオープンした博物館でも続けられています。
ヴァ―サ号に限らず水中での遺跡の保存を巡っては、多額の費用を掛け続けてまで実施するほどのことなのか、といった否定的な意見も見られます。その一方、引き揚げて調査を行ったからこそ船内の遺物から当時の生活様式が把握できた、実際に船体を研究できたからこそ当時の造船技術も明らかになった、という声もあるでしょう。
とりわけヴァ―サ号については、いわゆる「失敗の教訓」を目の前で学ぶこともできると言う声もあります。双方の声は文化財の保存へ貴重な意見であり、沈没船などの水中遺跡は扱いの難しさがあるとも教えてくれます。ヴァ―サ号はそれらを示してもいるのです。

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