熊本県内全域で実施された「県内バス・電車無料の日」により、公共交通の利用者は普段の2.5倍増、市街地の渋滞長は半減するという結果になりました。1世帯あたり月1000円負担すれば、通年の実施も可能という試算も出ています。

「県内バス・電車無料」、対象は4694便にも

 2019年9月14日(土)、熊本県で「県内バス・電車無料の日」が実施されました。県内の路線バス、市電などを(JRなど一部の鉄道と、高速バスなど一部のバス路線は対象外)、誰でも1日無料で乗車できるというもので、県内最大のバス事業者である九州産交グループが企画したものです。

 計4694便が対象という類を見ない大掛かりな企画で、熊本電鉄など九州産交以外の事業者の運賃減収分も、九州産交グループが負担しました。この日に九州産交グループは、国内最大級のバスターミナルだった熊本交通センターの跡地に、商業施設「SAKURA MACHI Kumamoto(以下、サクラマチ)」を開業しました。その認知拡大や、開業初日における駐車場の混雑対策を目的に「電車・バス無料の日」が実施されたのです。

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「SAKURA MACHI Kumamoto」をバックに走る九州産交の高速バス(2019年9月、成定竜一撮影)。

 ただ、長期的な視点に立つと、より大きな目的が隠れていることに気づきます。サクラマチが立地するのは、旧城下町エリアで、市役所や繁華街に隣接する熊本の中心市街地です。地方都市の中心市街地は、近年、郊外に続々と建設された大型駐車場付き商業モールの影響を受け、全国的に衰退傾向にあります。一方、郊外の無秩序な開発は、上下水道の整備など行政コストの効率を下げることから、政府も「コンパクトシティ」政策を掲げ、中心市街地の再活性化を促進しています。

 そうしたなかで行われたサクラマチの再開発事業は、郊外が消費活動をリードした平成という時代の、「その次」の地方都市のあり方を模索したものでした。「ひとりに1台」のマイカー所有が普通の「クルマ社会」となった地方都市で衰退が進んだのは、中心市街地だけではなく、路線バスなどの公共交通も同じです。

「バス・電車無料の日」は、中心市街地と、そこへ人を運ぶ公共交通という「双子の衰退」を挽回するきっかけづくりでもあったのです。

バスは軒並み超満員! 「無料だから乘ってみた」人多数

「無料の日」の朝、県内各地から熊本市街に到着する路線バスは軒並み、乗降口のステップまで超満員でした。午後には、道路中央部に設けられた市電の停留所から、電車を待つ人が車線にあふれかねない混雑ぶりに。サクラマチの1階に新設された桜町バスターミナルでは、夕方以降、全ての乗り場に帰宅客の長い列ができ、各事業者から応援に出た社員らが整理に追われました。

 しかし、単に「大勢にバスを利用いただいた」というだけではもったいない話です。そこで、熊本大学の溝上章志教授や熊本市のサポートを得て、ヤフーのデータソリューションサービスのチームや、交通分析を得意とするトラフィックブレイン社(東京都千代田区)らがビッグデータの分析を行いました。

バス、電車の利用実績のほか、県警が提供する交通量、ヤフーが提供する人の流れを示すデータ、商店街の来訪者数など数多くのデータを総合的に分析したのです。

県内バス全無料化「1世帯月1000円負担で可能」 熊本で1日やってわかったこと

2019年9月14日「バス・電車無料の日」における桜町バスターミナルの様子(2019年9月、成定竜一撮影)。

 その結果は、大変興味深いものです。まず、当日のバス、電車の利用者数は約25万人と、ふだんの土曜日の2.5倍になりました。サクラマチのほか、老舗百貨店や大きな商店街が並ぶ中心市街地の来訪者数は1.5倍に増加。とりわけランチタイム(12時台)には約2倍を記録しました。

九州産交グループでは、「無料の日」の経済効果を約5億円と推計しています。

 その一方で、渋滞の長さ(最大渋滞長)は59%も減少しました。バスの乗客アンケートでは、「日頃は公共交通を利用しない」人が約36%を占めています。現実に、乗車時に整理券の取りかたがわからない乗客も目立ち、「無料だから乗ってみた」という人が多い印象を受けました。

 むろん、「無料の日」をいちど実施したくらいで、通勤や買い物にクルマを使っている人がいきなり公共交通を使うようになるとは思えません。しかし、きっかけさえあれば、普段は使わない人がバスに乗ってくれるし、郊外のモールではなく中心市街地にも出向いていく、ということを示した意義は大きいと考えられます。

九州産交グループも、「公共交通の利用促進や渋滞緩和に、一定の手ごたえを感じる」としています。

県内バス通年無料は「1世帯月1000円で可能」

 九州産交グループの試算によると、熊本県内の路線バス運行に関わる年間コスト(各社の運賃収入と、赤字に対する補助金の合計額)を県内の総世帯数で割ると、1世帯当たり約1万2000円。つまり、各世帯が毎月1000円、何らかの形で費用負担すれば、路線バスを通年で無料にすることができる計算です。

 もちろん、国や自治体の財政が厳しいなか「税金から月に1000円負担して」と言っても、かんたんではありません。人口密度が比較的大きくバス事業の効率のいい地域と、そうでない地域とで、環境も大きく異なります。さらに、「税金で負担しているんだから」と、全ての県民が「ウチの集落にも無料路線バスを」と主張したら、月に1000円どころの負担額では到底間に合いません。

 ただ、この指摘が、わが国の公共交通、とりわけバス業界のあり方を考えるうえで示唆に富んでいることは間違いありません。

県内バス全無料化「1世帯月1000円負担で可能」 熊本で1日やってわかったこと

熊本電鉄の御代志駅。同社の電車、バスも無料になった(2019年9月、成定竜一撮影)。

 日本では、戦後、路線バスなどの公共交通を、主に民間事業者が担ってきました。自家用車が現在ほど普及する前、地方の路線バス事業は「儲かる」ビジネスだったのです。しかし、全国の路線バスの輸送人員はピーク時の約4割にまで減少しています。地方のバス路線の多くは赤字となり、国や自治体の補助金が投入されています。バス事業者が中心市街地に多く保有する不動産の価値も低下し、「副業」の収益性も悪化しました。路線バス事業者の経営と、現状でも多くの税金が投入されている地域公共交通の路線網とを、人口がさらに減る中でどう維持するか、真剣に考えるべき時期が来ています。

 サクラマチの開業は、地方都市において、鉄道駅周辺や郊外ではなく、旧来の中心市街地において行われた珍しい大規模な再開発事業です。前例のない「県内バス・電車無料の日」と合わせて、人口減少時代の日本社会のあり方を問う取り組みであると言えるでしょう。