航空自衛隊の外国製航空機は、アメリカ製がそのほとんどです。そうしたなか、数少ないイギリス機のひとつ「バンパイア・トレーナー」は、その後の航空自衛隊の装備品を左右する歴史の結節点に立ち会った機でもあります。

日本初の量産ジェット機T-1の礎として

 航空自衛隊が2020年現在、運用する航空機のほとんどはアメリカ製および国産で、それ以外の国で生まれた機体としては、イギリスのデ・ハビランド、現在のホーカー・ビーチクラフトが開発したU-125飛行点検機やU-125A救難捜索機が見られる程度です。しかし過去、航空自衛隊では、それらと同じくデ・ハビランドの練習機を短期間、使用していたことがあります。それが「バンパイア」戦闘機の練習機型、通称「バンパイア・トレーナー」です。

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航空自衛隊浜松広報館に保存展示されている「バンパイア」T.55、通称「バンパイア・トレーナー」(柘植優介撮影)。

「バンパイア・トレーナー」、いわゆる「バンパイア」練習機は、航空自衛隊が1956(昭和31)年1月に1機だけ購入したもので、用途は国産練習機を開発する際に必要な参考データの収集でした。

 日本では当時、のちにT-1ジェット練習機として制式化される、初の国産ジェット練習機の開発計画が進められていました。

ただし、国産開発することは決まったものの、機体形状や構造をどのようにするかは手探りだったため、各国の練習機を用いてテストすることにしたのです。

 様々な検討の結果、アメリカ製のT-28「トロージャン」と、イギリス製の「バンパイア・トレーナー」こと「バンパイア」T.55の2機種を用意することが決まりました。

 T-28の方は、1954(昭和29)年11月に新三菱重工、現在の三菱重工がデモンストレーション用に1機購入したものを防衛庁(当時)が買い上げることとし、「バンパイア・トレーナー」は新造機が用意されます。

 両者は、T-28が最初から練習機として設計開発されたのに対し、「バンパイア・トレーナー」は前述したように戦闘機ベースの練習機と出自が異なるだけでなく、より決定的なところで異なる部分がありました。

航空自衛隊初の双胴機

「バンパイア・トレーナー」の原型である「バンパイア」戦闘機は、第2次世界大戦中の1943(昭和18)年9月20日に初飛行し、大戦終結直後の1946(昭和21)年から運用が始まった初期のジェット戦闘機です。

空自のその後を左右した? 練習機「バンパイア」 初の国産ジェット機開発前夜を飛ぶ

「バンパイア・トレーナー」の後方。
同機は第2次世界大戦直後の西側製ジェット練習機としては、アメリカ製のT-33Aに次ぐ生産数を誇る(柘植優介撮影)。

「バンパイア」戦闘機はひとり乗りのいわゆる単座機でしたが、「バンパイア・トレーナー」は練習機として並列複座のふたり乗りに改造され、それにともない胴体も幅広になっていました。

 航空自衛隊としては、直列複座(タンデム)のT-28「トロージャン」と、並列複座(サイドバイサイド)の「バンパイア・トレーナー」を比較することで、練習機としてどちらのシート配置の方が適しているか見極めようと考えていたようです。

 シート配置は、直列複座は訓練生が単座の操縦感覚を早く確立できるといわれます。一方、並列複座は教官によるきめ細かい指導がダイレクトにでき、なおかつ教官の前方視界が良いというメリットがあります。双方にメリットとデメリットがあるため、実機を用いて比較したのですが、その結果、航空自衛隊は直列複座の方が練習機には適していると判断し、国産開発のジェット練習機は直列複座に決まりました。

 また、機内搭載の各種装備品もアメリカ製のものとイギリス製のものを比べた結果、アメリカ製の方が優れていると判断され、アメリカ製のライセンス生産、もしくはそれを基にした国産開発と決まります。

 この比較試験の結果も盛り込まれ、国産初の量産型ジェット機であるT-1練習機は1958(昭和33)年1月19日に初飛行に成功、1960(昭和35)年8月から運用を開始しました。

 一方、これと入れ替わるかのように、「バンパイア・トレーナー」も同年をもって用途廃止になり、しばらく教材機として使われたのち保存機になり、現在は静岡県浜松市にある航空自衛隊浜松広報館において展示機として余生を過ごしています。