アメリカには「You Can’t Go Home Again(古巣に帰れない)」という言葉がある。たくさんの思い出を残した場所に帰ろうとしても、以前ほど親しみを感じないという意味である。

その言葉が日常的になったのは、1940年に出版された同じ題名の小説『You Can’t Go Home Again』(トーマス・ウルフ著)が人気を集めてからで、長年にわたり伝えられてきた。

 大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)のチームメイトであるアルバート・プホルスが久しぶりに古巣であるセントルイスに戻った時、その言葉は覆された。

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8年ぶりにブッシュ・スタジアムでプレーしたプホルスは大歓声で迎えられた

 プホルスは2001年にセントルイス・カージナルスでメジャーデビューしてから、11シーズンで9回もオールスターに出場するなど、スター選手として大活躍。

 だが、2011年のシーズンが終わったあと、FAでエンゼルスに電撃移籍。リーグが違うため、カージナルスの本拠地であるブッシュ・スタジアムでプレーすることはなかったが、先日、移籍後初めて古巣へと戻ってきた。

 8年ぶりにセントルイスにやって来たプホルスを見ようと、連日満員の観客が押し寄せた。

6月21日(現地時間)からの3連戦、観客は大歓声を送り、プホルスが立った全12打席をスタンディングオベーションで迎えた。

2戦目にホームランを放つと、カージナルス時代に放った445本塁打と同じように温かく迎えられ、ダイヤモンドを1周したプホルスがベンチに引き下がると、ファンはカーテンコールを求めて万雷の拍手を送った。それに応えてプホルスが登場すると、スタジアムのボルテージは最高潮に達した。

 大谷もこの3連戦の終了後、次のようにコメントを残した。

「いやぁ、すごかったですね。エンゼルスタジアムなのかなっていうぐらい盛り上がっていましたし、そういうところで昨日ホームランを打って、今日もヒットを打って。

打つべきところでしっかり打って、やっぱりすごいなっていうか、スターだなって……チームメイトですけど、ベンチからはそういう風に見えました」

 思えばイチローもそうだった。2012年にシアトル・マリナーズからニューヨーク・ヤンキースに移籍して、シアトルに戻るたびにファンは温かく歓迎した。2017年には、フロリダ・マーリンズの選手として3年ぶりにシアトルに戻った際、3連戦の最終打席でホームランを放ち、大歓声を受けた。

 アメリカのスポーツ界では、ホームのファンは相手選手を応援しない。しかし、プホルスとイチローは稀で、「古巣に帰れない」という言葉は当てはまらない。もちろん、そのチームでいかに活躍したかも大きいが、野球に対してリスペクトする姿勢も大きな要因である。

 プホルスとイチロー。プレーヤーとして見ると、あまりにも対照的なふたりである。

 ドミニカ共和国出身のプホルスは、身長191センチのがっちりした体の右打者なのに対し、イチローは180センチの細身の左打者。打順も、プホルスはおもにクリーンアップだが、イチローはリードオフマン。さらに、プホルスはメジャー歴代6位の646本塁打に対し、イチローはメジャー歴代6位となる2514本のシングルヒットを放っている。

 そんな対照的なふたりだが、デビューしてから関わりが多い。

 2001年、ともにメジャーデビューを果たし、プホルスはナ・リーグの新人として史上初となる3割、30本塁打、100打点をマーク。イチローはア・リーグトップとなるシーズン242安打を放ち、打率.350で首位打者を獲得。ともに圧倒的な数字を残し、新人王に輝いた。

 それからもふたりはメジャー屈指の名プレーヤーとして存在した。史上初となるルーキーイヤーから12年連続30本塁打を放ったプホルス。10年連続シーズン200安打の記録をつくったイチロー。

 また、メジャー通算3000本安打を達成した選手はこれまで32人いるが、1本目が21世紀だったのは、プホルスとイチローのふたりだけである。

 イチローは引退するまでの19年間でプホルスと顔を合わせるのは、交流戦かオールスターがほとんどだった。リーグも違うし、そもそもスタイルがまったく違うふたりだが、ともに感じるところはあった。

 公式戦で初めて顔を合わせたのは、新人王を獲得した翌年の2002年6月だった。マリナーズの本拠地であるシアトルのセーフコ・フィールドで行なわれた交流戦。この時、プホルスはイチローにバットをお願いした。

 これまでいろんな選手に頼まれたことがあるイチローは、いつものようにサインをしてビジターのクラブハウスに送った。これはメジャーではよくあることだ。

 だが次の日、プホルスはもう1本、バットを頼んだ。しかも、今度はサインはなしでのお願いだった。イチローは驚いた。

「サインはいらないといった選手は初めて」と以前、取材でイチローが振り返ったことがある。

「どうやら使いたかったらしいのよ。プホルスが使うとは思わないじゃん、僕のバットを。僕は左バッターだし、スタイルだって違うし。でも、ちょっと面白い。僕のバットを使いたいと言うホームランバッターってあまりいないから。好奇心が強いんだろうなと思ってね」

 プホルスに確認すると、たしかに研究しているところだったと説明した。ともに新人王を獲得したといっても当時28歳のイチローは、プロとして11シーズン目。一方のプホルスはまだ22歳で、ドラフトされたのはつい3年前のことだった。

「試合で彼のバットを使ってみたかったんだけど、僕には小さすぎました」と以前の取材でプホルスが明かした。

「打撃練習では使いました。イチローがバットについて、どんな長さを求めているのか、どれだけの重さを必要としているのか知りたかったんです。木の素材にも興味がありましたし……。当時、私はまだ若かったですし、一流の選手がどんなバットを使っているのか情報を集めていました。イチローのバットはすごく、バランスが見事に取れた精密機械のようでした。それからその情報を生かして、自分に合うバットを選ぶようにしました」

 その翌年の2003年もふたりは顔を合わせた。シカゴで開催されたオールスターで、それぞれのリーグの投票数トップの選手がセレモニーに参加するのだが、そこにふたりが選ばれた。

 プレースタイルが違うにもかかわらず、お互い強く意識していた。そこから8年連続オールスターの現場で会っていたのだが、2009年のオールスターのゲーム前、イチローはプホルスについてこう語っていた。

「彼もなにか続けていることはあるでしょう。そういうものを持ちながらプレーしているというのは、経験した人にしかわからない。やっぱり頑張ってほしいよね。チームメイトで、やったことのない人にその気持ちはわからないから、孤独というか、誰も理解してくれない。とくにチームが負けだすと、自分だけ何か戦っているというのはやっぱりつらいよね。セントルイスは強いからいいけど……。そういう選手は頑張ってもらいたいと、僕は思う」

 プホルスはライバルよりも仲間だと感じるかと問うと、「そうだね」とイチローは言った。スタイルや残してきた結果は違っても、「古巣に帰れる」選手というのは、目に見えないところでつながっているものだ。