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向正面から世界が見える~

大相撲・外国人力士物語
第1回:鳴戸親方(3)

 ブルガリア出身の初めての大相撲力士として、大関まで昇りつめた琴欧洲。202cmの長身、握力120kgのイケメンは、「角界のベッカム」と呼ばれて、絶大な人気を得た。


 ただし、彼がそうなるまでには苦難の連続だった。慣れない日本の生活、予想をはるかに超える厳しい相撲界の生活に日々苦しめられていた。それでも、その環境から「抜け出したい」という一心から、彼はスピード出世を果たしていく――。

       ◆       ◆       ◆

 2004年の秋場所(9月場所)、豊ノ島、ロシア人力士の露鵬と一緒に、私はついに新入幕を決めました。

 そして、幕内2場所目となった九州場所(11月場所)、私は初日から2連敗のあと、8連勝して勝ち越し。自分でも信じられないくらいに体が動きます。


 のちに何十回も対戦することになる白鵬と、本場所で初めて相撲を取ったのもこの場所でした。13日目に白鵬、14日目に安馬(のちの横綱・日馬富士)にも勝った私は、11勝4敗で敢闘賞をいただくことができました。

 新三役(小結)に昇進したのは、2005年春場所(3月場所)です。初日から、横綱・朝青龍、大関・栃東ら上位陣とガンガン当たるこの地位で勝つことは、非常に難しい。

 結局4勝しか挙げられなかったものの、2場所後には小結に復帰。この場所の8日目に朝青龍から白星をもぎ取ったことは、大いに自信になりましたし、12勝を挙げたことで、「大関候補」と囁かれるようになったのです。


 次の秋場所は、関脇で13勝。大関昇進の基準は3場所の勝ち星の合算が33勝なので、計算上では翌場所8勝以上(さすがに8勝では厳しいでしょうが……)を挙げれば、大関昇進が決まります。

 運命の九州場所を前に、私は稽古に没頭することができました。宿舎に朝青龍が出稽古に来て、充実した稽古ができたこともあり、またしても朝青龍を倒して11勝。3場所合計36勝を挙げた私は、場所後に大関昇進が決まりました。

 実は九州場所の13日目は、先代親方が定年を迎える日でした。
師匠がいなければ、力士は相撲を取ることができません。なので、兄弟子で師匠の娘婿でもある琴ノ若関が引退し、佐渡ヶ嶽部屋の師匠となったのです。

 大関昇進の伝達式は、先代親方と現師匠が並んで使者を迎えるというシーンになりました。

 私が入門を決めたきっかけは、先代親方が私の目をジッと見て、「オレについて来い」と言って握手をしてくれたことでした。それ以降、何かにつけて、「欧洲、欧洲」とかわいがってくださった先代。定年で第一線を退いてしまうのは残念でしたが、引き続き私たちを見守ってくれると言葉をかけてくださり、安心したことを覚えています。



 昇進して2年ほどは、ケガの影響などもあって、大関として満足な成績が残せなかったのですが、休場明けの2008年夏場所(5月場所)は初日から絶好調。11日目には、このところ勝てなくなっていた横綱・朝青龍、12日目には白鵬に勝ち、12連勝の快進撃でした。

 ふたりの横綱がこの時点で3敗と2敗だったため、全勝の私は、優勝を意識するあまり、逆に硬くなってしまい、13日目、相撲巧者・安美錦に敗戦。けれども2敗力士がいなかったので、14日目安馬(のち横綱・日馬富士)に勝った時点で優勝が決まるという展開になったのでした。

 ヨーロッパ出身力士として初めての優勝を、一番喜んでくれたのは、父でした。ブルガリアから急遽駆けつけてきてくれた父と花道で抱き合うと、自然に涙があふれてきました。


「カロヤン、本当によかったな!」

 先代親方がもしこの時、ご存命だったら、きっと父と同じ言葉をかけてくれたと思います。先代は私の優勝を見ることなく、前年の8月に天国に旅立っていたのでした。

 初優勝から5年以上、大関を務めました。

 その間、ケガでカド番を迎えたことも何度かありましたが、なんとか乗り越えてきました。けれども、2013年九州場所3日目での左肩の脱臼は重症でした。

 靭帯を断裂、鎖骨も負傷し、「相撲を取ることは無理」とドクターストップがかかってしまったのです。
ここで休場してしまえば、(カド番だったため)関脇に落ちてしまう。相撲協会には、関脇に落ちた場所で10勝すれば大関に復帰できるという規定があるのですが、(休場は)苦渋の決断でした。

 翌2014年初場所(1月場所)は関脇で8勝7敗。大関復帰は逃したけれど、「次の場所、またがんばろう」と、私は3月の春場所に臨みました。

 こうして始まった春場所、初日こそ勝ったものの、2日目から8連敗で負け越し。10日目の相手は、白鵬でした。

 お互い、若い頃は「ライバル」として稽古場で汗を流した間柄。白鵬は私をすぐに追い越して、横綱になってしまったけれど、最後に白鵬と相撲を取って引退したい……と私は思っていたのです。

 結果は力及ばず、私の完敗だったのですが、「相撲を取り切った」という思いでいっぱいでしたね。

 今は、相撲ブームで本場所はいつも満員御礼。休むヒマもないくらいの地方巡業も組まれています。

 けれども、私が現役の頃は、相撲協会でいろいろな問題が起こったこともあって、お客様が入らない時期が長かった。残念ながら、私は15日間満員御礼の中で相撲を取ったことは、一度もないんですよ。

 お客様がいっぱい入っていて、みんな「相撲が好き」と言ってくれるんですが、「じゃあ、お相撲さん、誰を知ってるの?」と聞いてみると、「白鵬」。イキのいい若手もどんどん出てきているけど、ブーム的なところもあり、本当の意味で白鵬に続く力士がいないように思います。

 昔だったら、貴乃花! 若乃花! 曙! 武蔵丸! 小錦! と次々に名前が出てきたものだけれど、今の相撲人気は、何が支えているのかわからない。そこが怖い点だと、私は思っています。

 だから、鳴戸部屋の師匠となった今は、自分の弟子をしっかり指導しなければ……と思うんですよ。一人一人に力士としての自覚を持ってもらってね。力士はちょんまげを付けていますから、ちょっと外に出るだけで目立つし、自転車に乗って赤信号を渡ってたなんていうのも、全部見られていますからね。

 新しくできた部屋はスカイツリー、浅草など、観光客がたくさん来る地域にあります。外国人の観光客もこれからますます行き交うようになるでしょうし、下町の活性化のために、私も頑張りたいと思っています。


元大関・琴欧洲が相撲人気に「怖い…」。何が支えているのかわからない

現在は後進の指導に力を注ぐ、鳴戸親方(元大関・琴欧州)

 たくさんの人の目に触れるとなると、力士はラフな服装ではなくて、ちゃんと着物を着ないといけないし、ファンの人に本当に好きになって応援してもらえるような力士にならないといけない……って思うんです。

 やっぱりお相撲さんっていいな、力持ちで優しくて……って。お相撲さんってそういうもんでしょ。

 もちろん、弟子の全員が関取になれるわけじゃありません。私もそうなれるように指導しますけど、序二段だった力士が三段目に、三段目しか行けなかった力士が幕下まで上がってみせるとか、次のステップを目標にして相撲に取り組む。

 そうすれば、相撲を辞めた後の人生にもきっと役立つはず、と私は信じています。

(おわり)

鳴戸勝紀(なると・かつのり)
元大関・琴欧洲。本名:安藤カロヤン。1983年2月19日生まれ。ブルガリア出身。2mを超える長身と懐の深さを生かした豪快な取り口と、憂いのある眼差しで相撲ファンの人気を集めた。幕の内優勝1回、三賞受賞5回。2014年3月場所限りで引退、年寄・琴欧洲を襲名。同年、日本国籍を取得し、ヨーロッパ出身力士として初めて日本に帰化。2017年、鳴戸部屋を創設し、後進の指導にあたっている。
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