あの時もキミはすごかった~巨人・岡本和真

10月17日、ドラフトで阪神から2位指名を受けた履正社・井上広大は、報道陣から「目標とする選手は?」と問われると、ライバル球団である巨人の若き4番の名前を挙げた。

「岡本和真選手です」

 高卒出身の右の長距離砲で、同じ関西出身。

昨年、プロ入り4年目で一軍のレギュラーとなると、史上最年少で3割、30本塁打、100打点をマーク。今年も相手バッテリーから徹底マークにあい、打率.265と苦しんだが、それでも31本塁打、94打点の成績を残し、4番として5年ぶりのリーグ制覇に貢献した。

岡本和真が秘めていた究極の打者像。高校では本塁打への執着を捨...の画像はこちら >>
 井上の会見を聞きながら、智弁学園(奈良)時代の岡本のことを思い出していた。

 高校2年の秋から取材する機会が増え、バッティングの技術的なことや、理想の選手についてなど、いろいろと話を聞いた。そのなかで、岡本の口からよく出てきた名前が、中村剛也(西武)だった。

 右の長距離砲で、やはり関西出身。
中村は、岡本の小学生時代から球界を代表するホームランアーチストとして活躍しており、そのバッティングに自然と惹かれるものがあったのだろう。

 昨年のオフ、岡本は志願して中村と自主トレを行なったが、高校時代からYouTubeなどの動画で中村のバッティングをよく見ていたと話していた。

「バッティングがホントに柔らかくて、何回も見たくなるんです。パワーだけじゃなく技術で飛ばしている感じがして、いつも『すごいなぁ』と思って見ています」

 その中村について、恩師である大阪桐蔭の西谷浩一監督はこんなことを語っていた。

「大会でも常に4割から5割ぐらいの打率を残していたと思いますし、三振もしないですし......僕のなかでは空振りを見た記憶がほとんどない。そんな選手でした」

 プロ入り後は、割り切って空振りや三振を恐れないスタイルをつくり上げ、自身の最大の魅力であるホームランを追い求めたが、高校時代の中村は高いレベルで率を残しながら本塁打の打てるスラッガーだった。



 対して高校通算73本塁打の岡本も、公式戦では常に高打率をマークするなど、中村と同じくただホームランを打つだけの打者ではなかった。勝負強さも抜群で、中学時代からこだわってきた逆方向のバッティングや、変化球への高い対応力など、"打てる要素"をいくつも備えた打者だった。

 打者として申し分のない実績を残していた岡本だが、唯一、物足りなさを感じていたのがホームランへのこだわりだった。

 2014年のドラフトで巨人から1位指名を受けた岡本は、こんなコメントを残している。

「ケガをしない体をつくるなかで、ずっと活躍できる選手になりたい。いずれはホームラン王も獲りたい」

 その言葉を聞いて、おそらく大阪桐蔭時代の中田翔(日本ハム)なら「ホームラン王を獲りたい」と語っていたはずだと思った。

だが、当時の岡本は「ホームラン王も」というニュアンスで話すことが多く、その部分に物足りなさを感じたのかもしれない。

 高校1年の秋から4番に座り、1年時の本塁打は8本だったが、2年生になると1年間で48本塁打を量産した。その理由を聞くと、岡本はこう答えた。

「監督や部長から『3年になったらチームのことを考えてプレーするようになるから、思い切りできるのは今のうちだけやぞ』と言われて、それで打席では常に思いきり振っていこうと。その結果だと思います」

 この頃の岡本は、間違いなくホームランを意識していた。それが最上級生になると、「チームのためのバッティングをしたい」や「ランナーを還すバッティングを心がけたい」など、常に意識はチームに向いていた。


 そのなかで、ただ一度だけ「バックスクリーンにホームランを打ちたい」と言ったことがあった。それが3年春のセンバツ直前である。その理由を聞くと、「監督から『たまには大きいことを言ってみろ』と言われて......」と明かしてくれたことがあったが、センバツ初戦の三重戦では宣言どおりバックスクリーンに特大の一発を放ち、さらにその試合ではもう1本スタンドへ放り込んだ。

 甲子園という大舞台でホームランアーチストの資質を存分に見せつけた岡本だったが、それでもその後は「チームのために」という姿勢を崩さなかった。

 3年夏の大会が始まる前、ある雑誌で「岡本和真はプロでホームラン30本を打てる選手になるのか」という記事を書いた。その際、岡本に「将来の話として、次のどの数字に惹かれるか?」と質問した。
その数字とは「3割、20本塁打」「2割8分、30本塁打」「2割5分、40本塁打」の3つ。すると岡本は「3割、20本塁打です」と即答して、こう続けた。

「1番は打率を残したいんです。それがあってのホームラン。小さい時から、高卒でプロに入って、それも活躍して一流選手になると思ってやってきました。だから30本も打ちたいですけど、理想は3割とホームラン20本台をコンスタントに打って、長く活躍できる選手なんです」

 その時点で、高校生ナンバーワンスラッガーの評価を受け、ドラフト1位候補だったが、「20本塁打をコンスタントに」という目標設定に、岡本らしさを感じたものだ。

そこで「3割、40本塁打を目指そうとは思わない?」と聞くと、岡本はこう答えた。

「(入団して)最初の3年は自分をアピールしないといけないので、三振かホームランぐらいのフルスイングをして、自分の持っているよさを出す。レギュラーになれたら、3割とコンスタントに20本塁打以上を打てるように。そこまでいけたら、またそのあとですね」

 そう言えば、高校時代、中村のほかにもうひとり岡本がよく口にする打者がいた。MLBが誇るスラッガーのミゲル・カブレラ(デトロイト・タイガース)だ。今シーズン終了時点で、通算477本塁打、1694打点を挙げ、打率も3割1分5厘。首位打者4回、本塁打王2回、打点王2回を獲得し、2012年には三冠王にも輝いたメジャー屈指の強打者である。

 ある時、岡本に野球人としての展望を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「すぐに消えるバッターじゃなく、日本、そして世界の人にも名前を知ってもらえるバッターになりたいです」

 突然、「世界の人にも......」と言うのでその理由を聞くと、岡本はこう言った。

「小さい頃から将来の目標はプロ野球選手で、夢はメジャーリーガー。今もそこは変わらず持っているんです。やっぱり野球の本場ですから、そこでやってみたい思いはあります。ピッチャーもすごいでしょうけど、そこで打てる選手になりたいんです」

 その話の流れで、カブレラへの憧れ、バッティングの魅力、打球の迫力について熱っぽく語ってきたのだ。カブレラは世界最高峰の舞台で、長きにわたり打撃3部門で成績を残してきた究極の打者と言える。同じ右打者で、岡本にとってはさぞ眩しい存在だったのだろう。

 カブレラが三冠王を獲得したのは29歳の時。はたして、岡本が29歳になる6年後、どんなバッターになっているのか。堂々と「三冠王を狙います」と言える打者になっていてほしいと切に願う。