スポーツドクター・辻秀一が分析 渋野日向子のメンタリティ(後編)

メンタルトレーナーの辻秀一先生は、渋野日向子の凄さについて、感覚的に優れたメンタリティを保持している点を挙げた。ただし、メンタルマネジメントが高い次元でスキル化されているかどうかは、わからないという。

彼女がそれを実現させ、さらに飛躍するためには何が必要か、再び辻先生に分析してもらった――。

渋野日向子と大谷翔平との共通点。メンタルトレーナー「自然体を...の画像はこちら >>

失敗を引きずらず、「今」の自分に立ち返ることができる渋野日向子

 渋野日向子さんのメンタル的な特長を表わすもののひとつとして、バウンスバック(ボギー以下のスコアだったホールの、次のホールでバーディー以上のスコアを出すこと)が多かったり、予選落ちの翌週に優勝したり、ということがあります。

 それは、本能的になのか、両親からの言葉によってなのかはわかりませんが、何かがうまくいかないときというのは、「今」「ここ」「自分」を裏切っているんだということに、自分で気づくチャンスをつかんでいたからだと思います。つまりは「気づきの力」なのです。

 大事なことは、失敗を引きずらないで、いつでも今に生きると意識すること。野球のピッチャーでも、打たれたときに、すぐ気持ちを切り替えられないと、どんどん泥沼にハマっていきますよね? それと同じで、失敗する人というのは、自分の脳で作り出してしまっているノンフローの海のなかで溺れているんです。
つまり、そのノンフローに溺れる感覚にどれだけ早く気づいて、すぐにフローの大地にまた立てるか。それが鍵なのです。

 でも、うまくいかないときの感覚は、なかなか切り替わらない。だから結局、多くの人が切り替わるまでは、気合いや根性で我慢してしまう。さらには、文句や愚痴につながることになります。しかし、最近の優秀なアスリートの間では、気合いや根性、ポジティブ思考みたいなものは、あまり流行っていません。


 メンタルトレーニングや心理学の考え方でもそうですが、みんな、自然体を大切にしているんです。たとえば、メジャーリーグで活躍する大谷翔平くんもそうですよね。スピードスケートの小平奈緒さんにしても、直接会ったことはありませんが、自然体を強く感じます。かなり思考が整理されている印象を受けます。そんなふうに、心マネジメントの思考が整理されていると、フローな状態の再現性が高まるんです。

 渋野さんも、同じように自然体のにおいがします。

直接会って話してみないとわかりませんが、思考が整理されて言語化されていることは、再現性のスキル化において重要なポイントです。だから、彼女と直接話してみたいし、話してみたら、実はすごく言語化されていて、素敵だなって思うかもしれませんね。

 渋野さんは試合後に、「めっちゃ悔しい!」といった言葉を口にすることがありますが、悔しがるのはいいんです。悔しいと後悔は違いますから。私のメンタルマネジメント方法は、感情をコントロールして、ロボットになれと言っているのではありません。一生懸命やったけれど、バーディーが取れなかったら、「悔しい!」という感情を口にしたほうが、そこでその感情をリリースできるからいいんです。


 にもかかわらず、それを「いや、別に」という感じで、これもいいことなんだと言い聞かせようと我慢していくと、それをずっと背負って、溜め込んでいくんです。だから、感情をきちんと理解して言語化し、そこでリリースできるのはすごくいいこと。それを無意識にやれている感覚はいいですね。

 ただし、いかに渋野さんが心の整え方を感覚的には持っていたとしても、認知という脳が「今」「ここ」「自分」を裏切って、マインドレスに暴走し、ノンフローの海に溺れるリスクは、アスリートである以上、常に抱えています。技術の波もあるし、特に女性だから、体の波もある。それに、こうやってメディアが集まってくるわけですから(笑)。


 何度も言いますが、アスリートにとってメディアは最大の敵。メディアとどう付き合うかは、欧米のスポーツ心理学の基礎のひとつなんです。

 渋野さんがメディアに対してフランクな感じで話すのも、彼女はたぶん、メディアを特別視すると、脳が認知的に特別な反応をしてしまうので、だから、普段どおりの会話をすることで、とにかく自分を保つようにしている気がします。おそらく、それが彼女なりのメディアとの接し方なのでしょう。

 それは、たぶん無意識的にやっているんだと思いますが、だから、才能はありますよね。技術の才能、体の才能があるのはもちろん、メンタルマネジメントの才能もおそらくある。

ただそれを、再現性を持って表現できるマネジメントスキルがないと、長く一流でいるのは難しい。その評価はまだできない、ということです。

 それを考えると、本当はメンタルトレーニングを受けたほうがいいと思います。今まで感覚的にやっていたことがスキル化されますし、無意識的にやっていることが整理されて、再現性も高いレベルで維持できるようになりますから。

 若い頃に大きな大会で勝ったあと、なかなか勝てなくなった人がもう一回復活したり、のちにレジェンドと呼ばれる名選手にまでなったりすることがありますが、それはメンタルマネジメントの重要性に気づき、スキルを自分のものにしていった人たちです。

 どういう原因や仕組みでドライバーショットが曲がってしまうのかを、コーチがわかっているのと同じように、メンタルの専門家が脳や心の仕組みを教えてあげることで、どうして心が揺らいだり、囚われたりするのかに気づくことができる。それにしっかりと気づいて、「だからだよね」って自分で直せるほうが、フローの状態の再現性は高くなります。

 やはり、感覚だけでフローを保つのは、いずれ難しくなる可能性はある。なので、チャンスがあれば、それをどこかで整理できるといいなと思います。メンタルトレーニングをやらなくても、違う分野で苦労を乗り越え、成功している人の本を読むのもいい。本を読むだけなら、自分の参考になるかどうか、自分で取捨選択できますしね。

 いずれにしても、そういうことに興味を持つときが来ると思います。それが、今年なのか、来年なのかはわかりませんが、本を読んだりして、思考を整理する習慣づけはしておいたほうがいいと思います。

 もちろん、渋野さんに一流のアスリートの資質はあるのかと言われれば、必ずある。なかったら、全英では優勝できない。まぐれはないと思います。その後の様子を見ていても、現段階で一流とは言えなくとも、一流の要素は持っていますよね。

 ただし、だからと言って、今年も賞金女王争いをしたら、あるいは、今年もまた全英で優勝できたら、そこで初めて一流だとか、結果で評価することはしません。あくまでも心のあり方として、今シーズンは東京オリンピックもありますし、これだけ注目を集める状況のなかで1年間、「今」「ここ」「自分」を安定的に保ち続けられれば、かなり一流に近いと思います。

 メディアは、オリンピックで金メダルを目指しますと言わせたいんでしょうが、メンタル的には、それは最悪です(笑)。その期待こそが、選手をノンフローにしているんですよ。

 技術は安定しているんだから、「今」「ここ」「自分」を自ら徹底的に意識して、自然体でフローな状態で目の前のことをだけをやれば、結果は自然と出るんです。結果は、期待によって作られるわけではありません。その人のパフォーマンス、何をどんな心でやったか、でしか作られないのです。

 渋野さんには、「今」「ここ」「自分」に立ち返る力がある。もちろん今はまだ、無意識に、だとは思います。

辻 秀一(つじ・しゅういち):スポーツドクター
1961年、東京都生まれ。北海道大学医学部卒業。慶應義塾大学医学部にて内科学を学んだあと、スポーツ医学を専門とする。そして、慶大スポーツ医学研究センターを経て、人と社会のQOL向上を目指して、(株)エミネクロスを設立。子どもから大学のチーム、さらにはプロ、オリンピック選手まで、あらゆるジャンルのスポーツ選手の「心」と「体」のコンディショニングを、スポーツドクターとしてサポートし日々奔走している。『スラムダンク勝利学』(集英社インターナショナル)をはじめ、著書も多数。
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